24時間耐久 1to25



001:暁【あかつき】

『永き夜の後に再びすべてを穏やかに包む者』
 ベルカが名付けられたホクレア名。それを書きとめたノートをエーコはひとり見つめていた。
 歌において『暁』という言葉が出てくるものは大きく分けてふたつある。
 ひとつはいわゆる励ましソング、もうひとつは──エロスな歌、だ。偲び逢いの恋人達が、明けてしまった夜を残念に思う歌。
(あーあ、オルハルディが生きててくれたらな、心行くまでベルカをからかえたのに)
 そんなことを考えながら、浮かんだフレーズを次々に書き留める。
 密かに作っていた歌の続き。変装した姫君に恋をした男の歌。身分という壁に阻まれたふたりは、夜の間だけ通わせた思いを素直にあらわす。
 切なくて、少しだけエロスな歌。唇に旋律を乗せる。不意に、それが途切れる。
(悲恋……に、なっちゃうのかな) 
 歌においては、悲恋の方が観衆の心を打つことが多い。エーコの持ち歌の中でも、恋愛をテーマとした歌は半数以上が悲恋として描かれている。
 フられる歌。諦める歌。死別する歌。
(……不謹慎、っていうのもちょっと違うけど)
 エーコはどうしても、その歌の続きを作ることが出来なかった。
 歌はただの歌。でも、願いたかった。オルハルディの生存に希望をかけたかった。そして、真実を歌いたい気持ちも少なからずあった。
 そんなこんなで、飾りたてる言葉はいくらでも思いつくのだが、肝心のストーリーが浮かんでこなかった。
 ひとつ息をついてノートを閉じると、11弦を手にテラスに出た。
 この時期の夜は長い。夜から起きていて暁の光に会うのは少々厳しい。だが、じっとしていられなかった。






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007:星【ほし】

 海の上には、空をさえぎる一切のものがない。建物から溢れる光も無い。それ故に、青い空はよりあおく深く、晴れた夜の空はいっそう星々が輝いて見える。
 今宵もそんな、星の綺麗な夜だった。
 ぎし、ぎし、と穏やかな波に揉まれきしむ船の音が、まるでベッドが軋む音のように聞こえるのはただの気のせいだろうか。
「…く…」
 ロヴィスコの唇から苦しげな吐息が漏れた。
 甲板の上、まるい月と星に照らされて船長服はいっそう白く見える。
 上半身はそれを着たまま、しかし下半身は何も着ていないという、あまりにアンバランスな格好でロヴィスコはそこにいた。
 下から揺すぶり上げられてたまらず声を漏らす。
 その身のしたには、金の髪で夜の光を集める男がいた。
 唇で弧を描き、対照的に苦しげに呼吸を繰り返すロヴィスコを見つめる。
「星が見たいって言ったのはおまえだろ、ロヴィスコ。なあ、どうだ? 見えるか?
 ここからはイイ景色が見えるぜ、と嗤う。
 天を仰ぎ見る姿勢では月も星も、ロヴィスコが乱れ喘ぐ様も、制服でわずかな光に煌くステラ・マリスも、よく見える。
 苦しげに呼吸を繰り返す様を見て、陸に打ち上げられた魚のようだと揶揄すると、確かに海に生きている、と肯定も否定もされなかった。
 自分達は今、陸を探しているというのに。
 苛立ちを覚え、再びロヴィスコを揺さぶり突き上げると、先ほどよりも艶を帯びた声が漏れる。
「ほら…もっと声出せよ」
 今のような凪いでいる夜は見回りも間隔が長いとはいえ、流石のロヴィスコも首を横に振る。
 ならば実力行使とばかりに、ライツはまた腰を掴み、揺さぶりたてた。先ほどよりも強く、激しく。






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008:夜【よる】


 日が沈みきる前に街に着き宿を取り、夜は立ち並ぶ屋台で串焼きなどを買って食べ、宿に戻って朝になったら出発する。そんな生活にも慣れてきた。
 リンナとしてはどうにも、それだけでは物足りないものがあるのだが。
 疼く身体を寝台に横たえ、ふとあることに気づいた。
 日のあるうちに、または夜のうちに出来ないのであれば早朝にすればいいと。
 翌朝、まだ日が上る前にリンナは寝台を抜け出した。
 昨夜の思いつきに従い、ある行為を行うために。


 ベルカは眠っていた。どこか遠くで、誰かの吐息を耳にした気がした。
 それは激しく、甘く、そして乱れていた。
 差し出された手は暖かく、抱き寄せる腕は力強かった。
 寄せた身は暖かく、多少走っても平気な顔をしている癖に鼓動は早鐘を打っていた。
 その心地よい腕の中、そっと服を掴む。
「殿下……」
 こんなに甘やかな声音でこの呼称を紡げる人物なんて、たった一人しかいない。
 ゆっくりとふたりの唇が近付き──。

 そこで目が覚めた。
 はっとした顔で布団をめくり、風を送って当該部分の変化の様子を見る。幸いにして被害は出ておらず、安堵の息をつく。
「で、殿下……?」
 淫夢、というほどではないが、色気のある夢を見てしまった原因がそこにいた。
 部屋の隅で運動をしていたのだろう、少し乱れた呼吸。下りたままの髪が額にはり付いている様子、それはまるで夢の中で──。
(ああ、思い出すな俺!!)
 夢の残滓を振り払うかのように頭を振った。






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010:水【みず】


「殿下、顔色が優れないようですが……」
 馬車の中、浅く息をするベルカを気遣い、リンナが声をかけた。
「んー、ちょっ、苦し……」
 俯き、胸のあたりでぎゅうと服を握る様は、このような状況でなければ見とれてしまっていただろう。そんな艶っぽさがあった。
 その思いをおさえつけ、リンナは馬車の小窓を開いた。
「エーコ殿、どこか、馬車を止められるような場所は……」
「ごめん。このあたりは次の街まで何もないんだ。街道の横がすぐ森だし、明るいうちに通り抜けないと、獣や野盗がたくさん出るから……あと少しで着くと思うんだけど」
 もう陽が傾いている。冬に近いこの季節、傾き始めらすぐに暮れてしまう。確かに、今馬車を止めてしまうのは得策ではないだろう。
「殿下……もう少々、堪えていただけますでしょうか?」
 リンナの言葉にベルカは青い顔をしながらも首を縦に振った。
「あー、でも……水飲みてー。あとこれ、はずしてくれねーかな。少し緩めるだけでも構わねーんだけど……」
 オーソドックスな女中服を盛大にまくりあげる。中には勿論肌着を纏っているとはいえ、それはなかなかに目に毒な光景であった。
「こ…こう……でしょうか?」
 震える手で結び目をどうにか解き、その紐を弛める。ふう、とベルカが息をつく。苦しそうな様子も、先ほどよりは減じたようだ。
 その時、不意に馬車が揺れた。車輪が石でも噛んだのだろう。ベルカの身体が前に跳ね、そして。
「ごめーん、2人とも、怪我とかしなかった?」
 小窓からエーコに覗き込まれ、2人して固まる以外なかった。






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011:滴【しずく】


 ふと目が覚めると、ライツは医務室のベッドで寝かされていた。枕元に転がる小さな星を見、あれは夢ではなかったのだな、と、ぼんやり考え。
 受け取ったとき、ロヴィスコが握り体温が移っていたせいか温かかったステラ・マリスは、今は冷たく無機質に光を跳ね返していた。
 見上げると、輸液の入ったパックがもうだいぶ残り少ないようだった。滴が落ちるさまを見ながら、もうすぐコーネリアが来るのだろうと、ぼんやりと思う。
 囚人たちとは距離を置いていた……いや、逆に衝突を繰り返すくらいの勢いであったが、仕事にはとても真摯に取り組む。ライツと顔を合わせれば罵詈雑言の応酬のようなものだったが、ライツが面倒がって傷の消毒などを拒んだり、酸っぱいからと塩漬けのライムを残したりすると本気で怒るのだ。まるで家族の心配をするように。
 ──と、ノックの音がした。
 静かに開けられたドアからはやはり、コーネリアが姿を現した。
「あら、起きていたのね」
 換えの輸液パックを携えて入ってきたコーネリアは、枕元のスタンドにそれを引っかけるとてきぱきと交換の準備をはじめた。
「なあ」
 医術師、と声をかける。返事は素っ気ないものだった。
「何よ」
 本当に弱っているときならばまじめに聞く様子を見せるのだが、そうでないときは本当に素っ気ない。そんなところも惹かれる要因であるのだが。
「見てのとおり、右手が使えなくて不自由してんだよ。手伝ってくれねー?」
「左手でしなさい」
 ぴしゃりと言われ、くっと喉を鳴らした。この反応が、このテンポが、たまらなく心地よいのだ。






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016:陽射し【ひざし】


「まぶし…っつーかねむ……」
 朝の陽射しに目を眇め、手をかざす。そんなベルカの様子に昨夜の行為を思い返さずにはいられなかった。
 

「なんの話だよ。関係ないだろそんなこと。おまえの腕が立つのは知ってるよ」
 感情を押し殺したような声音。しばしの沈黙の後、不意にベルカが声を上げた。
「なあ、それよりほかの2冊……まだ俺も読んでねーんだ」
 今のうちに読んじまおうぜ、とページをはがしていないままの1冊を手渡された。だが、部屋の前にキリコの近習──確か、鴉とか呼ばれていただろうか──が陣取っており、部屋から出られない。
 ベルカは早速とばかりにベッドでごろりと寝そべってページをめくっているが、リンナとしては扱いに困らざるを得なかった。
 仮に使うにしてもさすがにベルカの前で露出するわけにはいかない。
 しかも、どうもタイトルからしてこれが『姫君が娼婦に化けて牢獄に入れられる話』という奴であろう。マリーベルを重ねず読める気がしなかった。
 そしてもうひとつ。これはヘクトルの蔵書であるという事実があった。万が一のことがあってはならない。
 ぱらりぱらりとめくってはみたものの、文章に集中は出来なかった。
「なあ……」
 不意にベルカに声をかけられ、向き直る。
 寝台の上には、やや目を潤ませ、紅潮したベルカが座っていて。
「……こっち、来いよ」
 言葉にせずとも、言いたいことはわかった。だが、先ほどのもやっとした気持ちをそのままに、身体だけを繋げて良いものだろうか――。リンナは逡巡の後、その言葉に従った。
「──はい」  






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019:鴉【からす】


 黒は自分が信じられなかった。
 今まで色事にあまり興味を持たず、いや全くのゼロではなかったが、それでも同年代の中では淡白なほうだったと思える。
 サンプル数が少なさ過ぎるきらいはあったが。
 それが、だ。
 先だっての、ただいちどの行為を忘れられずにいた。
 流石に日中、鴉隊として頭布を巻いている時間に疼きが抑えられないことは少なくとも今のところまだなかったが、夜、与えられた部屋では周囲に人の気配が無いことを確認しては何度も何度も、自涜を繰り返していた。まるで覚えたての少年のように。
(オルハルディさん…)
 優しく触れ、名を呼んだときの反応を、表情を思い出す。
 自然と動かす手が速くなる。
 先生と赤とともに敵対関係にある相手であるのに、どうしてこんなに惹かれてしまうのだろうか。
 初めて身体を繋げた相手だからだろうか。オルハルディの、ベルカに対する想いに触れてしまったからだろうか。
 遂げるべき想いを持っていた相手でもないのに、行為が気持ちよさすぎたせいだろうか。
「ふ…っ」
 吐息を殺し、先走りでぬめる手に欲を吐き出した。荒く息をつき、手を拭う。
 もう一度触れたい。抱きたい。
 そんな欲望が浮かんでは、押さえ込む。
 少し回復して動かせるようになるまではここに留まるという先生の決定に従い、今は数日ここに逗留している。
 回復したら、王府にまた戻し、今度は厳しい監視をつけるのだそうだ。
 自分がその担当にならないだろうか、と仄かな期待を抱く。
 そうしてお願いしたら、もしくは、強引にでも、と。
 傷口はふさがっているとはいえ、調子が戻った訳ではない。体力も落ちている。それに、最初は抵抗されても、名を囁けばきっとおとなしくなる。まるでそれが何らかの呪文であるかのように。


 黒は未だ気付いていなかった。オルハルディにとって、それがどんなに残酷な行為であるのかを。