24時間耐久+C企画 51to75



052:漣【さざなみ】


「何日かは持ってくれるといいんだけどーー」

 少し気が緩んだ。
 ほんのり身に火が点るようだった。
 指先に、そして腕に。
 リンナに触れられた場所に。
 ノイ=ファヴリルの街区の外れで、手を握った手。キリコにつかみかかろうとし止められた際に捕まれた腕。
 前者はその手の熱さに息をのみ、後者は特にはっとした。
 リンナの手から、何か流れ込んでくるような感覚をおぼえた。
 ぞくりと、鳥肌が立った。こんな状況じゃなければ言ってしまいそうだった。『そのまま抱きしめてくれ』
 もちろんそんなことはあり得ない。
 自分が正体を知られぬままのマリーベルであるならともかく。あり得ない。

 食事を済ませ、湯浴みをしてから後もその妄念とも言うべき思いに捕らわれていた。
 ぴっしりと糊の利いたシーツに身を横たえ、疲れているはずなのにやけに目が冴えているのを感じた。
 もぞもぞと、落ち着かず姿勢を変える。
 辛抱たまらず起きあがると、戸枠があるだけの続きの間の向こうからから声をかけられた。
「殿下」
 そちらを見やると、夜着に、それでも軽く上着を羽織り気遣わしげな視線をこちらに向けるリンナの姿があった。
「お眠りになれませんか? 何か、温かい飲み物でもご用意いたしましょうか」
 お茶の類でも、ミルクでも。
 身体の中から温めれば精神も落ち着きましょう、というリンナの申し出に曖昧に笑みを向ける。
「ありがとな、リンナ。……でもそういう訳じゃねーんだ」
 そうですか。とあっさりと引き下がる。
「では、もしお眠りになれないようで……私に出来ることでしたら何なりとお申し付けください」
 その一言を添えて。

 そして次の瞬間、リンナは自分の耳を疑うことになる。

「殿、下……?」
 息を呑み、目を瞬かせた。
 今自分の主人は何と言っただろう。
 はっきりと聞こえたそれは、本当にベルカの口から発せられた言葉なのだろうか。自分の願望ではないだろうか。
 湧き上がるざわめきが、漣のように全身を駆け抜けた。






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056:待ち伏せ【まちぶせ】


「ッ……」
 ぐちゅ、という音とともに奥を抉られ、身をかたくする。
 きつく目を閉じて声を殺し俯くと、首筋を舐め上げられた。奥歯を噛みしめて感覚をやり過ごす。
「オルハルディさん……、どうしてそんなに我慢するんだ」
 戦いの中では言葉少ない鴉──少年の個人名というか、コードネームは、ルツ、というらしかった──は、ベッドの中では多弁だった。
 王府に連れ戻され、見張りとしてつけられたルツは、事あるごとにリンナにちょっかいをかけてきた。
 待ち伏せられていた雨の降る修道院前でロトとともにルツに貫かれたのだが、どうやらその一度でリンナに並々ならぬ感情を抱いたようだ、と、告白めいたものをされた。
 当然ながら、その気持ちは受け容れられないと突っぱねたのだが、ルツは諦めようとはしなかった。
 一命は取り留めたものの、十分に回復しきらず身体の自由が利かぬのをよいことに、夜毎に貫かれ揺さぶられていた。
 それも強引な凌辱ではない。非常に心の籠もった行為で、リンナの身を気遣い優しくされる、それが逆にとても苦痛だった。
「オルハルディさん……」
 首を振り答えずにいると、決まって甘くやさしく囁くのだ。
「リンナ……」
 ひくり、と身体が反応してしまう。
「やめ、ろ……!」
 身を繋げたまま後ろから耳朶を食まれる。
「だって、こうしないとオルハルディさん、俺のこと見てくれないでしょ」
 ──こうしても、見てるのは俺じゃなくてベルカ殿下だけど、と続けた声音は少し寂しそうで、思わず同情してしまいそうになる。
 だが。
「……好きだよ。好きなんだ。リンナ……」
「やめ、ろ……やめろ……っ!」
 その名前で呼ばれると、どうしても思い出してしまう。重ねてしまう。同じ黒髪を持った、最愛の主君を。
「嫌だ、やめないよ。リンナ……感じてるんでしょ? 我慢なんてするなよ。リンナ……」
 耳から流し込まれる、その名を紡ぐ声が違うことも、においも、触れ方も違うことがわかっているのに、反応してしまう身体を止めることが出来ない。
「っく……ふ、…………ッ……!!」
 ざわり、と全身に鳥肌が立った。二度三度と同じ場所を抉られ、波に飲まれてしまう事を阻止できなかった。
「ッ……殿下、申し訳ッ……ありませ、……ッ……!!」
 全身が跳ねる。身のうちの痛みも、その快楽からリンナをすくいあげることは無かった。 






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058:散歩【さんぽ】


 城区は、ちょっとびっくりするほど広い。しかも山にある──というか、山そのものが城、のような状態であるため、そこで育った者でも場所によっては迷ってしまうほどだ。
 ミュスカは使用人やかつてのベルカのように行動範囲がそう制限されていた訳ではないが、そもそも行こうとしたことのない場所や、存在すら知らない場所は城の中にいくつもあった。
 なにぶんまだ7歳。今まではせいぜいが侍女といくつもある庭園のうちいくつかを散歩する程度だったのだ。
 シャムロックが提案した『傭兵ごっこ』で城のあちこちへ潜り込み、見たことの無いものを見ることはミュスカに新鮮な驚きとさらなる興味をもたらした。城を出ていた時から育んでいた興味という翼が、次第に大きく育っていったといってもよい。
『何故』『どうして』理由を求め真実に近づくことはミュスカにとってとても楽しいことで、またその理由を考えること、想像力を働かせることは子供の成長に大変重要でよい効果をもたらす。
 もっとも、それはただ外交手段として、見た目だけのお姫様という人形が欲しい層には歓迎されたことではないが。

「姫さん、今日はどこを見てきたんですかい?」
 約束の刻限にシャムロックが潜んでいる部屋に向かうと、ミュスカは喜んでその日あった出来事を語りだした。
 いままでそんなことを聞かれることもなければ、語ったこともなかった。
 シャムロックはミュスカを膝に乗せて話を聞いてはまじめな顔をしてうなずき、時折わかりやすい言葉で質問を挟み、うまく答えられれば頭を撫でてくれた。
 子供扱いながらも、ひとりの人間としてきちんと向き合ってくれている、そんな気がして、その時間がなんだかとても嬉しいものに思えた。

 使いとしてカミーノへ向かう前、シャムロックが恐れていたのはひとつ。ミュスカの身の安全だ。
 自身が王府を離れている間に、それこそ妙な薬などを盛られたりはしないだろうか──と。
 偶然出会い、当初は仕方なくミュスカと行動をともにしていたのだが、交流を深めていく中で絆は本物になっていった。娘がいたらこんな感じなんだろうか、などと考える。
(──ま、そもそも相手もいないわな)
 青写真を描いてみようとして早々に詰まり、わずかに唇の端をゆがめた。
 『シャムロック』はレディ・ミュスカの騎士──それだけで十分、いや過分にすぎるくらいだ、と。 






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067:扉【とびら】


 手にしたパンをかじりながら耳をそばだて、扉越しに微かに伝わる中の会話を聞き取る。
「おーおー、ねちっけーのな」
 くっと喉を鳴らす。
 先生が、黒の仄かな恋心を利用すると赤に告げたときには驚いたものだが、現状を見れば頷ける。
 黒は確実に、オルハルディの精神を揺さぶり蝕んでいっている。
「どうだ」
 不意に姿を現した人物があった。
「──先生!」
 立ち上がりかけた赤を手の動きで制する。唇に指を当てるのを見て、中に気取られてはまずいのだと思い至り、頷いて静かに腰を下ろした。
 何せ中にいるのは黒、そしてオルハルディだ。
 いくら行為に没頭している様子だとはいえ、あまり物音をたてたりしては、観察していたことがばれてしまう。
 頷いてそっとまた扉に、先ほどまで同様にして使用していたコップを当てる。
 ひときわ大きく嬌声が上がったと思うと、不意に静かになった。黒が何事か喋っているようだが、内容までは聞き取れない。
 そこで先生が、身振りでもういい、と伝えた。赤も頷き立ち上がる。
 正直、ひとりで他者の情交、それも男女ならともかく男同士のそれなど覗き見る趣味はない。そもそも男色の趣味もない。叩きのめした相手をそのまま犯し、屈辱を与える行為には確かに興奮を覚えたが──、そうでなければわざわざ男を抱こうなどと思わない。
 黒は赤に「品がない」などというが、赤には時折、黒がとても悪趣味に思えることがある。

「順調なようだな」
 先生の言葉に頷く。
「しかしあいつわかってるんすかね。自分が好きだ好きだって言うことで、どれだけオルハルディを追い込んでるのかって……」
 肩を竦めてみせる。無邪気というのは時にたいへん残酷なものだ。
「……自覚はないだろうな。黒はあれで妙に純粋なところがある。それを自覚してしまったら逆に厄介だ」
「流石に、それは……」
 先生よりもオルハルディを取るなんて事態は考えにくかったが、ありえないとは言い切れなかった。
 もしも思い詰めた末に反旗を翻すことなどがあれば、赤は黒と戦わなければならない。
 先生に世話になるようになってからは兄弟同然だった黒と、戦いたく、は。
 いや。
「それも……面白れーかもな」
 当然ながら、訓練以外で剣を交えた事などない。
 強い相手と戦うのは面白い。
 もしも、もしも黒がオルハルディに与するならば。
 その未来は、あながちありえないとも言い切れない…という気がした。






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069:幸せ【しあわせ】


「しかし……今の私では、殿下をお守りするどころか、足手纏いになってしまいます」
 実際に鴉隊に拘束され、自身どころかベルカまでも危機に晒してしまった。
 大聖堂関係者も、何人も巻き込んだ。軽はずみに過ぎたのかもしれない。太陽宮でもう少し情勢を調べ、見極めておくべきだったかと、後悔した。
 だが、たとえやり直しがきいたとしても、自分はあのとき、手を取ることを選んだだろうという不思議な確信があった。
「せめてもういちど殿下にお会いしたいと思い、こうして参りましたが……私に、殿下のお側に置いていただく資格があるのか」
 
 俯くリンナに、ベルカがふう、とひとつ息をついて言った。

「おまえさ……たまに馬鹿じゃねーかと思うことがあるけど、今もそう思った、けど……ああ、いいから早くこっち来いよ」
 来いよ、といいながら自分が動くところがベルカらしい。ぐ、と握ったままの手をとられる。
「俺はさ……おまえが戻ってきてくれればいいんだ……役に立つとか立たねーとか、そんなのはおまえが決める事じゃねー。俺がそばに居て欲しいって思うのに、それは役に立ってねーことになるのかよ。馬鹿野郎……二度と俺のそばから離れんな」
 キリコのような芝居がかった言い回しではなく、飾り気のないまっすぐな言葉。
 あまりに久しぶりに聞いたベルカの言葉が、リンナの心をじわじわと蕩かす。
 ああ、これが幸せというものなのかもしれない、と朧気に思った。