1207-1126=81



 いい宿というのは、個室に風呂も備えているらしい。  衛士として働いている間にはもちろん、時折田舎に顔を出す際にもそんな処に泊まるような機会は無かった。
 隊舎には湯浴みのできる場所はあったが、湯に香りもなく、当然風呂上がりに手足に塗り込む香油など用意されていよう筈もない。もっと簡素なものだ。
 せっかく用意されているものを楽しまぬ道理はない。
 それに馬車の旅では徒歩のようには汗をかかなくても、やはり旅の埃というのはある。馬車の中でじっとしたままでいれば、身体も凝り固まる。ゆっくりと湯船の中で身体を解すのはとても心地よかった。
 大抵は最初に[レディ]を主張するミュスカが湯を使い、次にベルカ、エーコと続き、シャムロックとリンナが順番を譲り合う。それがここのところの日常だった。
 


「わり、まだ入ってたのか。今日はおまえが最後だったんだな」
「で、でででで殿下!?」
 扉が開く音に意識を向けると、簾を払った手の持ち主は既に風呂を堪能した筈のベルカだった。
「エーコの奴が酔いつぶれて寝ちまったもんだから、ミュスカの髪の手入れ手伝わされててよ。ちっと冷えちまったからあったまりたくてさ。別にいいよな男同士だし」
 そんな事を言いながら、身にまとうものを次々と取り去っていく。
 長髪のウィッグをかぶっていないとはいえ、女物の肌着下着を無造作に脱いでいく姿は、どうも見ていて落ち着かない。洗濯に出す事を考えて
「わ、私はその、あ、しかし……」
 湯に浮かぶ泡やら垢やら石鹸かすを慌てて掬い、浴槽の外に捨てる。
「で、では、せめてお背中を…」
「あー、いいっていいって。ちょっとあったまりてーだけだし」
 広いとはいえない浴槽の中、ベルカはリンナの後ろにするりと身を滑り込ませた。
 適温に調えられた湯の中、素肌の背が触れ合う。
「やっぱ2人入ると狭いな。お前の番だったのに悪い」
「そんな、とんでもありません! 殿下と同じ浴槽に浸かるなど、畏れ多いです」
 背中越しにほんのりと感じられる体温が鼓動を速める。
 背後にいるのはあくまで少年で、自分が仕える主人である。
 そう、何度も何度も自分に言い聞かせているのだが、抱いてしまった想いはままならない。忠誠に嘘はないが、それ以外の感情も抱いている自覚はある。それは満たされた革袋のように、どんなに押さえつけても跳ね除けようとするのだ。
「そんな畏まらなくていーって。ほら、ハダカのつきあいって奴? だいたいおまえがそんなに遠慮したら、俺の方がいたたまれねーし」
 それとも他人との風呂に抵抗あるとか? という問いに、首を横に振る。
「兵舎ではいつも複数人での湯浴みでしたので、抵抗がある訳ではないのですが……一緒に入っているのが殿下だと思うと、緊張します」
「緊張ねえ。んじゃ王子の俺じゃない誰かと入ってるつもりになるってのはどうだ?」

 たとえば……。

 そこで最初に浮かんだのは、やはりというか[マリーベル]だった。何せ今触れている背中の持ち主だ。
 口にした名に、ベルカは即座にツッコミを入れた。
「そこはほかにもいるだろ! エーコだとか、おっさんとか……あっ、まさかコーフンなんかしてねーだろうなっ?」
 冗談めかしたベルカの言葉に冷や汗が出る思いだった。浴槽に浸かっているため、それが可視化されることはなかったが。
 口に出されたことで、余計に意識してしまう。
 あと数年若い頃であればおそらく、いや確実に、反応もしてしまっていた事だろう。十月隊で行っていた、訓練前の準備運動のことなどに思いを馳せ、必死でそれに抗う。
「で、では殿下、お先に失礼致します!」
 温浴効果か別のものか、火照りを覚えて浴槽から上がると、リンナは身体を拭くのもそこそこに慌てて衣服を身につけ、逃げるように浴室を出た。

「んー……」
 広くなった浴槽の中で伸びをして、ベルカはひとりごちた。
「だいぶ、湯が減っちまったな……」

<了>

BACK





あとがき的なアレ

ハダカのお突きあい?
だれうまおれとく

お粗末さまでした。