実用書



「……ふう」
 ペンを置き、コールは息をついた。
 凝り固まった肩を回し、二の腕を擦るように揉む。
 清書というのは単純に見えて、なかなか気を遣う仕事だ。それが、「本」が三冊分。
 王太子の従者として、書類の代筆をすることは数あれど、こうした「仕事」は完全に専門外でもある。
 史書の編纂であれば推敲に携わることもあろうが、実際に文字を認め、綴じるのはやはり代書屋だろう。
 しかも、中身は形式ばった、言い換えれば書式を踏襲すれば容易に作成できる書類ではない。
 もっと平易な文章で、情感が込められて、そして…実用的な。
 羊皮紙を灯に翳し、今清書した章の部分にインクのにじみや書き損じ、脱字がない確認する。その作業はつまりはその文字を見比べるのみならず、内容をきちんと読むという行為も含まれる。
 折しも物語は佳境に入り、いかに鍛えられたものか、ヘクトルの筆も最高潮にノっている。
 文字を追うだけでも頬が熱くなる感があったが、文章として読めば。
 もとより断るなどという選択肢はないものの、仕事と割り切るつもりで引き受けたのだが。
 この手のものを読んだことすら無いような純粋培養の坊ちゃん育ちでも、女を知らない朴念仁でもないが、まあそれなりには若い。
 要は、[反応]してしまうのだ。
 熱の凝縮を感じ、机の上を軽く片付けて椅子を引く。
 夜風に当たろうか、それとも先に…と思案しながら戸を開けると、その前に立っていた人物と鉢合わせになった。
「っ…ヘクトル様!?」
 自身が仕える主人はしかし、にやりと笑むと耳に唇を寄せた。
「仕事熱心な従者を持って幸せなんだが、根を詰めるだけじゃなくてもっと仕事を楽しんでもらいたいっていうのが本当のところなんだよなあ、俺としては」
「は、はあ、それはその、」
 真意をはかりかねて目をしばたかせる。
「ーーーっ!?」
 次の瞬間、服越しにヘクトルの指で触れられ、思わず腰を引いた。
「俺、文才あるだろ」
 国王なんかじゃなくてそっちで食ってっくのも楽しそうだ、 などと言って快活に笑む。
「ご、冗談を」
 ヘクトルのことだ。王になるのをやめるとは言わずとも、仕事の傍ら書く、程度のことはやってのけかねない。十分に有りうるといえよう。
 今だって似たようなものだ。もちろん、国を背負う責務や円卓など、王太子である現在の地方領主としての仕事以上にやることは増えるのだが、ヘクトルならばそつなくこなすだろう。 その傍ら書き、お忍びで城下へ出て女を口説く。
 リアルに想像できる未来。
 流れ星が現れて消えるような刹那にそこまでの思考を走らせたところで、現実に立ち返った。
 というのも、ヘクトルが舌先をほんの少し伸ばしたからだ。
 濡れた舌で耳朶に触れられ、声をあげかけてそれを押し殺す。
「殿下……っ!」
 抑えた声で窘めるが、どうやらそれはストッパーにはならないようだった。腰に回された手でぐいと抱き寄せられるに至り、コールは抵抗を諦めた。
「殿下の物好きにも困ったものです」
 囁くような言葉に喉を鳴らして笑い、ヘクトルは今しがた入ってきた扉を静かに閉め、入念に鍵をかけた。
「俺の部屋だと、いつ誰が入ってくるかわかったもんじゃないからな」
 確かに、ヘクトルの寝室で下手に呻き声でもあげようものなら、扉の前に控えている見張りの衛士が即座に踏み込むことだろう。尤も、幸か不幸か中にいたはずの部屋の主が抜け出したことに気づいた様子は無いようだが。
 もしかしたら、どこぞの女の元に忍んでいくのだろうと、敢えて見逃しているのかもしれない。


 「理」に挑戦したいというのは、男同士の性行為のことも含まれるのだろうか。
 それともこの行為は、女には不自由していない筈の彼のほんのちょっとした気の迷いなのだろうか。

 王太子の従者としては、単に気の迷いであってほしいところであった、が。

 それだけではほんの少し、寂しいような気もするのはエゴだろうか。

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あとがき的なアレ

ぜんぜん実用的じゃないですね!

お粗末さまでした。