さらにはこんなひととき



「[マリーベル]ちゃん」
 リコリスに声をかけられ、事態を把握した。
「また来たのか、あいつ……」
 エーコに言われた言葉がふと頭をよぎる。
 ありえねー。何度繰り返したかわからない言葉をまた再生した。

「マリーベル!」
 勢い良く入ってきたのは、やはりサナの分隊長氏だった。
「何かあったんでしょうか? 随分慌てている様子ですけれど……」
「いや、そういう訳ではないんだ。驚かせてすまない」
 男は軽く手を振って紙袋を差し出した。食欲をそそるいい香りがする。
「まあ……これは?」
「こういうものが、口に合うかどうかわからないけれど……」
 開けてみると、まだ温かい、パンのようなふんわりとした物が入っていた。湯気と匂いが部屋に漂う。
「俺の好物なんだが、仕事が終わる時間まで残っていることは珍しくてね。温かいうちにキミに食べてもらいたいと思って走ってきてしまったよ」
 手にしたそれと同じようなあたたかさに触れ、ベルカは不思議な心地よさを覚えた。
「それは、ありがとうございます」
 微笑み、掌をおおきく広げたくらいのサイズのそれを半分に割ると、中には挽き肉を錬ったあんがまだ湯気を立てていた。
「美味しそうですね。半分いただいてもいいかしら?」
 首を傾げて見上げると、男が応えた。
「昨日、その……キミを抱きしめたとき、随分細く感じて……。もし食べられるようなら、キミが全部食べるといい」
 男の言葉に、しかしベルカは首を横に振った。
「ひとりで食べるよりも、一緒に食べた方が美味しいわ。それに、衛士さまの好物なのでしょう?」

 男が持ってきたもの--肉まん、というらしい--は、結論から言うとたいへん美味しかった。
「食欲はあるようで、少し安心したよ」

 男の笑みにほんのりと胸の奥があたたかくなるのを感じた。男もまた、そんなベルカの様子に満足したようだった。
 
「そうだ。それからこれ、もらってくれないか」
 差し出されたのはまたひとつ、紙袋。
 先ほどの肉まんが入っていたのよりもすこし小さい。開封すると、白い石と、装飾の入った金属の板状の部品をつなぎあわせた腕環が出てきた。
「喜んでもらえるかわからないけれど」
 高そうな宝石こそ使われていなかったが細工は丁寧、かつ繊細で、光にかざすときらきらと光った。その裏側、プレートの手首側に、何かが見えた。

「何か……文字が彫ってあるんですね。ええと……『愛しき者…愛しき世界に慈しみの風を』とても…温かな言葉です」
 五月のやさしい南風のような、この男にぴったりの言葉だと、素直にそう思った。

「マリーベル…キミは字が読めるのか!?」

 驚いた様子で問われ、ベルカ自身も動揺した。
「え…ええ、何かおかしなことでしょうか?」
 そういえば、代書屋がどうという話を昨日していたっけ。気づいて蒼白になった。
「言葉遣いも洗練されたものだ。キミは上流階級の出身なんだね。かわいそうに…どうしてこんなところに――」
「い、いえその……」
 言い澱んでいると、そっと抱き寄せられた。
「いや……ここは夢をみる場所だ。そんな話はやめておこう。何か思い出させてしまっていたら、すまなかった」
「お優しいんですね……」
 男の心根のまっすぐさに触れれば触れるほど、騙しているという事実に胸が痛んだ。

「つけてみてもいいかしら」
 その痛みを振り払うように問うと、男はベルカの手からそっと腕輪を取り上げ、手を出すようにと仕草で伝えた。促されるままに右手を差し出す。
 冷たい石と金属の感触と、男の温かい手の温度差になんだかむずむずした。


 ***


「ねえねえベルカ、今日、例の分隊長さんに何かもらわなかった?」
 興味津々といった様子のエーコにいきなり核心を突かれ、ベルカは言葉を詰まらせた。
「な……んで、おまえがそれを」
 に、と笑みを浮かべ、エーコはベルカの瞳をのぞき込んだ。
「見ちゃったんだよね、今日。ぼくが歌っていた場所のすぐそばに市が立っていてね。そこで。その店は女性向けのアクセサリーを扱う店だったから、まさかあの人が自分でつける訳じゃないだろうし……って」

「市井の人にとっては文字自体が暗号みたいなものだから、読み書きが出来る人は少ないんだ。装飾品の文字入れなんて、せいぜいが交わす指輪に愛の言葉をひとこと刻むくらいだし」

 返答を用意した方がいいよ。もしくは、少し時間をもらった方が。


 隣のエーコは既に寝入っている様子だったが、ベルカの目は未だ冴えていた。
 寝ぼけて抱きついてくる彼を適当にあしらいながら、右手首に今も慎ましやかに煌めく腕輪に視線をうつした。
「……右手だから自分で外せねーんだよ」

 誰に言うとでもなく呟き、未だ訪れない睡魔を誘うように布団をかぶった。

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あとがき的なアレ
原作の台詞を混ぜ込みつつ進行を…
着地点は決めてあるんですが、そこまでの間にいくつエピソード入れようかなとか…
そろそろマリーベルさんはある種のつり橋効果でぶんたに惚れてもいい頃