いつかはおわるひととき



 返答を、などと言われても困る。
 応えることはけしてできないのだから。


 冬に近づきつつある、ある日の明け方。
 ベルカは寝台の中にあって、なおも冷える足先を縮こめていた。
 右手首に巻き付いた鎖、白い石と金属板の腕輪がやけに重く感じる。
 あれから3日、あの分隊長には会っていない。
 リコリスには「体調が悪い」と伝えてくれと言ってある。
 文字の刻まれた装身具が、市井の民にとってそんなに深い意味があるものだなんて知らなかった。
 知っていたら受け取らなかったものを。

 いや、出自が上流階級であるというところまで言い当てたあの男ならば、貴族階級にそういったならわしの無いことも知るだろうか。
 エーコやリコリスは『えー、受けちゃえばいいじゃん』だの『あの衛士さまがあと15歳年かさなら私もねえ』等とはやし立てるが、そもそも性別上ありえない。だいたい、ここにいるのは傷が癒えるまでのわずかな間だ。自分はこれから王府を目指さなければならない。
 かといって、すべてを話すなんて言うのはナンセンスだ。

 つまり、道はひとつしかないのだ。最初から。
 彼の想いを裏切って、ここから出ていく。


 もう傷もほぼ塞がっている。流れた血も造られている頃だろう。
 早い方がいい。明日の朝にでも、ここを出るべきだ。
 そんなことを考えながら、豆のさやを剥いていた。

 不意に、台所の扉が開かれた。
「マリーベル!」

 前回会った時も慌てた様子だったが、今回はそれを上回る勢いだった。
「体調の悪いときに無理を言ってすまない……どうしても、キミに会いたくて」
 心の準備も答えの用意も何もせぬままの対面となり、ベルカは内心、非常に落ち着かなかった。
「え、衛士さまの方こそ……まだ夕刻。お仕事の時間ではありませんか? マリーベルは心配です……」


 男のまっすぐな眼差しを受け止めることに耐えかねて、視線がふらつく。
 佩いていた剣を隅に置き、男は空いていた椅子に腰を下ろした。
「どうしても……キミに聞いて貰いたい話があるんだ。こんな怯懦…英雄王廟では告解できない」
「わ、わたくしでよろしければ…」
 男はひとつ息をつくと再び立ち上がり、腕輪のはまったベルカの右手をとり、そしていつもどおりのまっすぐな視線を合わせた。
「……俺の話を聞いた上で、答えてほしい。性急な話ではあると思う。だが俺は本気だ。キミに……」
 その手にわずかに、力が込められる。
「キミに、俺の妻となって欲しい。楽な暮らしはさせてやれないかもしれないが、その日の食べ物に困るようなことはないだろう」
 裏切らなければならない相手の真剣な言葉はとても鋭く、ベルカの胸を抉った。自分はこんな格好で彼を欺き続けているのに、彼はこんなにも真摯に自分に相対している。


「迷いを持ったままこんな『仕事』をして、そしらぬ顔でキミを抱きしめることは出来ない」
 いつもまっすぐな視線が刹那、力を失ったように揺れた。
「俺は、今から詩人を殺しに行く」
 詩人。その言葉にベルカの心臓が跳ねた。
「武器を持たぬものを大勢で囲み、手に掛けるなど…、この英雄王廟をまつるサナを守る者としてするべきことなのか……」
 確かめなければならない。
「その人は、金の髪を後ろで結んだ?」
 
「ああ…キミも知っているのか。そうだよ、太守様のことでよからぬ噂を流していると──…」 
「──どこだ」
 仮初の姿はもう要らない。ベルカは座っていた椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

「詩人かい? 最近はいつも広場脇の酒場に──…」
 ごめん。そして、ありがとう。マジで感謝する。
「マリーベル?」
 でも、これでおしまいだ────

「おまえの剣を借りるぞ!」
 ウィッグと[マリーベル]の仮面をかなぐり捨て、代わりに男の剣を持ち雨の街へ飛び出した。


 これ以上あのまっすぐな瞳に射られていては、もう欺き続けることに耐え切れなかったかもしれない。
 雨の中、男のぬくもりを振り切るようにベルカは走った。


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あとがき的なアレ
というわけでさっくりと切るように混ぜて原作に合流しました。
リンナ視点の話とかあったんですが、ひたすらのろけてるだけだったという…