あらしのよるに



 荒れ狂う波の上、パルムドール級ヴァルター船アゼルプラードは、まるでおもちゃの船か何かのように揺れ、揉まれていた。
 海が荒れるときまって出てくるのが巨大海棲生物だ。
 イカ。タコ。サメ。海蛇。
 普段は実に大人しいそいつらは、荒れ狂う波に眠りを妨げられ、怒っているのだろうか。
 それとも、目覚めの嵐の日に迷い込んだ船を獲物と認識し、襲いかかって、あるいは捕食を試みているのだろうか。


 甲板の上から声が聞こえる。
(うるさい黙れ。俺は今忙しいんだ)

 ライツは小舟の上、海面を睨みつけていた。
 先ほど傷を負い一度は海中に潜った巨大海蛇。
 痛みに我を忘れ、今度は全身でのたうつだろう。
 侮れる大きさではない。直撃すれば、アゼルプラードの1隻くらい、沈められてもおかしくない。しかも問題は大きさだけではない。先ほど牙が掠めた右足が酷く痛む。牙という武器に加え、こいつは毒まで持っているのだ。
 不意に海面にその姿が浮かぶ。
(──今だ!)

 手にした爆弾を思い切り投げつける。
 破裂したそれは、海面に水柱をつくるとともに、ライツをまともに爆風に巻き込んだ。
 小舟ごと吹っ飛ばされ、アゼルプラードの即壁に叩きつけられる。
 強烈な衝撃と痛みに一瞬、意識が遠のいた。


「──イツ、ライツ!」
 しかしそれも長くは続かず、激痛はすぐに一度は追いやった意識を呼び覚ました。
 自分が吊り上げられているような感覚。
 しかし身体にかかっているのは針ではなく、誰かの腕だった。
「ライツ、しっかりしろ! おまえのおかげで船は助かったぞ!」
「ロヴィスコ…?」

 唇は動いたが、声にはならなかった。聞き取られない囁きはことばと言えるのだろうか。
「小船で至近距離からの擲弾とは──無茶をする…医長! 血清はあるか! 右足に咬傷二箇所!」
 甲板に担ぎ上げられたライツは、慌しい声を聞きながらふたたび意識を手放した。

 寒い。いや、感覚がよくわからない。痛い? 寒い。
 身体が動かない。震えることも出来ない。
 どこかで話し声が聞こえる。

「だめよ、今の状態でお湯なんて使ったら、低温やけどの危険性が高いわ」
「だが体温が戻らない……このまま放っておくわけにはいかない!」
 頭が働かない。会話しているのはわかるが、脳がことばを認識しない。いや、何度目かの夢かもしれない。
 とにかく、寒い。


 不意に指先に熱いものが触れた。
「こんなに冷えきって……」
 身体の上の布団がはぎ取られ、服を脱がされる。
 だから寒いっつってんだよふざけんな。

 
 しかし、次の瞬間、ライツは熱に包まれるのを感じた。
 押しつけられた熱から、冷えきった身体に温度が移動する。
 何度も何度も繰り返し呼ばれる、名前。その音を乗せている声は……。
「ロヴィ……スコ……」
 声を出すと、喉の奥がひりひりと痛んだ。潮のせいか、それとも熱風を吸ってしまったせいだろうか。
 ライツが目を開けると、ロヴィスコは安堵の笑みを浮かべた。ライツに体温を与えるため、上半身裸のままで。
 なんて顔しやがんだ。と、ライツも唇を歪める。
「る……せぇ。犯すぞ……男にこんな事されても、嬉しくねぇ」
 医術師と代われ、と嘯くライツに、ロヴィスコはやはり笑みを浮かべて応えた。
「まさか、コーネリアにはこんなことはさせられないな」
 親しげな調子で名を紡ぐその唇に噛みついてやりたいと、思った。
 

「ッ……おい、どういうつもりだ」
 切れた唇の端で、紅い血が玉をかたちづくる。
「別に……ムカついた、だけだ」

 視界には未だ靄がかかっている。いつも手酷い目に合わせている相手がこんな事をするはずがない。どうせこれも夢だ。ムカつく夢だ。

 そうして再び、ライツは緩やかな無意識の海へと呑まれていった。


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あとがき的なアレ
「医長! 血清はあるか 右足に咬傷二ヶ所!」「はい!」
と、
「…俺は 生きてんのか…」
の間の1mmくらいのスペースの妄想です