マッサージ



 馬車の旅は快適、とはいかなかった。
 まちに近い街道はいいが、少し離れると街道とは名ばかりの半分、いや7割方獣道のような様相で、小石を踏んではがたがたと揺れる。


「はあー腰痛てぇ。なあ、おまえは痛くなんねーの?」
「わ、私ですか」
 確かに狭い馬車の中で、オディ=ジュスト以降は4人。ずっと同じ姿勢を強いられているのはなかなかに辛いものがある。
「確かにその、痛いと言えば、痛いですけれど……」
 とはいえ、役目となればじっと微動だにせず立っているのもまた衛士の仕事。その対処には慣れたものだった。
 それにベルカは日中ずっとコルセットを着けている。ぴたりと身体にあったもので、しめつけすぎなければむしろ腰まわりは楽なのだが、もともとが女性用だ。少年であるベルカが装着すれば、どうしても無理が生じる。
「あまり痛むようでしたら、マッサージでも」
「ああ、おっさんとエーコはそんなこと言ってたな……」
 呼ぶだの繰り出すだの。
 呼ばれると部屋の中でもきっちりマリーベルの恰好をしていなくてはならないと言うことで断ったのはついさっきの出来事だ。
 風呂を使った後、ミュスカが眠るのを待ってふたりして出かけていった。正反対のふたりに見えたが酒豪同士意気投合し、夜はいつもふたりで飲んでは騒いでいる。どれだけ飲んでも朝にはけろっとした様子なのだが。
「マッサージなー。あれってマジで効くのか?」
 若さもあり、今までそんなものの必要性を感じたことが無い。ベルカは上目で問い返した。
「純粋に筋肉の緊張を解す効果はあると思います」
 馬車の振動が骨に伝わって痛むようでしたら、医術師の分野ですが、と説明する。どうやらそれで納得をしてもらえたようだった。
「あの、私でよろしければ」
 マッサージを受けるならば、ある程度薄着にならなくてはならない。マリーベルとして通す以上は宿で受けることはできないし、街で受けるのなどもってのほかだ。
「おまえが?」
 リンナの申し出に、ベルカは意外そうな視線を向けた。
「できるのか?」
 頷き答える。
「はい、新兵訓練には欠かせませんし、ある程度筋肉の動きや構造を知っておくことは衛士として必要なことですので」
 厳しいしごきの後には労いの言葉と上官や先輩手ずからのマッサージを。これはサナ衛士の初期離職率を下げるのに大いに役立った。心と体のケアが一度に出来る上に、ウィークポイントや訓練で傷めた部位の把握も同時に行える。
「……専門的なことはわかりかねますが、筋の緊張を解す程度でしたら」
「んじゃ、わりーけど頼むな」
 そう告げるとベルカはごろりとベッドに寝転がった。ウィッグをはずしているとはいえ、簡素な上衣とドロワーズの姿で横になられると、なんとなく照れてしまう。
「で、では失礼します」
 服のしわを丁寧に伸ばし、掌全体を使い、背骨に沿ってまずはゆっくりと擦る。すべてのマッサージの基本だ。
 掌の熱を移すようにゆっくりと、まずはそれでリラックスを誘う。
「ん……おまえの手、気持ちいーな。あったけーし」
「ありがとうございます」
 ほんのり眠たそうな声があがったところで、先ほどまでの動作で把握た筋緊張の特に高い部分を、親指の付け根を使って細かく揉み解す。
「ん、あ、そこそこ……」
 確かに腰回りがずいぶん凝り固まっているようだった。普段は歩いたり傭兵との手合わせをしたりで動いているので、じっとしているのは窮屈なのだろう。

 特に凝り固まっているところを解し終え、軽くストレッチ動作を加えてから再び先ほどと同じ、撫でるような動作に移る。ただ先ほどよりも、もう少し力を入れて。
 この状況下であまり心地良さそうな吐息などを聴かされると若干妙な気分になってきてしまうのだが、相手は少年、新兵と同じ、でも丁寧に……などと考えてそれを振り払う。
「殿下、一応これで終了ですが……」
「んー、ありがとな。すげー気持ちかった……」
 声をかけると、ふにゃふにゃと眠そうな返答が返ってきた。
「いえ、殿下のお役に立てましたなら光栄です!」
 心からの返答だった。

「たっだいまー! マリーベルたーんいいこにしてたー?」
 うとうとしているベルカにふわりと上掛けをかけ、灯火を落としたところで、エーコとシャムロックが帰ってきた。確認しなくてもわかるくらいに酔っぱらっている。
「殿下でしたら今床に就かれたところです」
 ふうん、と言うエーコは先ほどのベルカと違い、何か悪戯っぽい光を瞳に宿していた。
「いくらマリーベルたんが可愛いからって寝込みを襲っちゃダメだよ~」
「なっ……!?」
 あまりといえばあまりの発言に、言葉を失った。
「いっ、いえその私はそのような……」
 どうにかそれだけ絞り出す。と、エーコが笑いだした。
「ふーん。冗談で言ったんだけど、そのぶんじゃまだ諦め切れてないのかなー」
 まあ、マリーベルたんを追ってここまでくるくらいだもんねえ。続く言葉に弁明する。
「わ、私は今はそのような……不埒なことは……」
 すでに全く平静を保てていない。
「不埒、ねえ」
 くす、と笑みを漏らした。
「なにを想像したのかなー? ……なーんてね。オルハルディって、マリーベルたんの中身がベルカだって知ってるのに、今もまだ好きだよね。……ねえ、きみが本当に好きなのは、[誰]?」
 紫色の瞳が揺らめいた。
「わ、私は、確かに殿下をお慕い申し上げておりますが、そ、そのような……」
「[殿下]を[お慕い]ね……ま、いいけど。……ねえ、オルハルディ」
 ふとエーコの表情から笑みが消えた。リンナもつられ、居住まいを正す。
「はい」
「襲ってもいいけど、その時はベルカたんを見てね」
 続けた言葉は再び笑みを含んだものだった。
「それならーえこたん特別に許可しちゃうからっ!」
「勝手な事言うなよ。リンナ、酔っぱらいのたわごとなんて聞く必要ないからな」
 ふわあ、と欠伸を一つしてベルカが起きあがった。
「えー、じゃあベルカはマリーベルとして抱かれたいって言うの?」
「違げえ! だいたいリンナだって男が好きな訳じゃないだろっ! 酔っぱらいなんてほっといておまえもはやく寝ろっ!」
 それだけ言い残すと、ベルカは再び寝台に潜り込んだ。今度は掛布を頭からすっぽりかぶって。
「……あんまりいじめたら怒られそうだし、今日はこれくらいにしとこっかな。ふふ、おやすみ」
 笑みを残し、エーコも寝台へと向かった。シャムロックも水を一杯飲んで、既に高いびきだ。

 ベルカの言うように、『酔っぱらいの戯言』と切り捨ててしまう気には、何故かなれなかった。
 自身もようやく夜着に身を包み、寝台に上がって自問する。
([誰]……?)
 そんなこと、考えもしなかった。
 好き、という言葉の意味を噛みしめる。
 そもそも惹かれるのと、抱きたいと思うのはまた微妙に違う感覚だ。
(わたし、は……)
 ひとり考え込んでいたが、やがて意識は闇に溶けた。  

BACK





あとがき的なアレ
私は割と高速バスとか乗るのですが、馬車の中でじっとしてたら腰痛いだろうなーと思いまして
それをふくらました挙句こんなことになりました
しかし最後のえこたんどうしちゃったの…
もしかして:ラーゲンの血(言葉責め的な意味で)