従者達の穏やかな午後



「そうですか、ではコール殿はヘクトル殿下の遊学先で……」
 頷き、カップに口を付けた。
「そうです、お引き立ていただいた時は本当に嬉しくて、一生この方にお仕えしようと」
 ふ、と視線が遠くなる。
 今はもういない主に思いを馳せているのだろう。リンナはそっと哀悼の仕草をした。
「オルハルディ殿は、どうしてベルカ殿下の従者に?」
 問い返され、一瞬、リンナの視線が泳いだ。
「私はその……無理矢理押し掛けたようなもので。殿下ご自身にも、なかなか認めていただけませんでした」
 思い出されるのは、キツネの洞窟でのこと、アルロン伯の屋敷でのこと、王府入り直前のこと。それから、サナでのこと。流石に女装姿に一目惚れしたとは言えなかった。
 ベルカはずっと言い続けていた。『帰れ』と。
 今であればわかる。それはベルカの優しさであり、また当時の自己肯定感が不足していたことから来るものだと。
 水路で別れた後のベルカの成長、あるいは王子として自覚した振る舞いは目覚ましいものだったと、エーコから聞いた。
『ベルカはね、迷ったり壁にぶつかった時はいつもきみのことを考えていたんだよ。オルハルディ』
 それは誇らしくもあり、傍で見られなかったことが少し残念でもあった。

 ともすれば日の当たらぬさむい部屋の中、膝をかかえて、死ぬのは怖いからとただ生きていく──それだけの人生を甘んじて受け入れていたベルカ。雪華宮はある種象徴的だった。
 あたたかい陽光、やわらかな日溜まり。やさしい風が頬をなでる場所で、顔をあげて微笑んで、ときに微睡んでいて欲しい。
 そう思っていたのは、はたしてエゴだったのだろうか?

「──オルハルディ殿?」
 コールの言葉ではっと我に返った。
「大丈夫ですか? やはり体調がまだ……?」
 気遣わしげな表情を向けられ、慌てて否定する。
「あ、いえ……座っている分には、どうということはありません」
 流石にまだ激しい動作は辛い。それどころか、少し長い距離を歩くにも休憩を要する。
「ただ、殿下のお役に立てないのが……」
 起きあがることすらまともに出来なかった頃と比べれば、今はかなり回復しているといえよう。医師にも施療士にも、この分なら日常生活を送る分には困らない程度にはなるだろうと、太鼓判を押されている。
 だが、それだけでは不完全だ。
 元のように動けるようになるのか? この身体で、ベルカを守ることが出来るのか?
 今はただリハビリに専念するより他に無いのだが、身体のきかなさを自覚するにつけ、その不安が膨れ上がる。

 だが、コールはその不安を笑い飛ばした。
「何を仰るんですか。オルハルディ殿と再会してからのベルカ殿下は、目に見えて安定していますよ。カミーノとあなたの引き替えを断ってからあなたとお会いするまでは、それは酷かったんですから……。あなたの存在自体が、ベルカ殿下にとっては力になっている。そう感じられます」
「コール殿、その仰りようは少しその……」
 一言で言えば、照れる。咳払いをして少しばかり話の軌道を変えた。
「カミーノはもともとヘクトル殿下が治めていらしたのですよね」
 カミーノ。
 その街の名を聞くだけで、心が震えた。
 ベルカがカミーノと自分の引き替えを拒んだという事 実。王の子として振る舞っていたというベルカ。
 再会したときに、泣き崩れたベルカ。

「はい。……本当に、ヘクトル殿下が戻ってられたようでした。ご立派になられて……」
 しみじみと語るコールの様子に、ちくりと胸が痛んだ。
「ヘクトル殿下は……本当にご立派な方でした」
 おおよそ、悪口というものを耳にしたことがない。
 リンナ自身、心から尊敬している。過去形ではなく、今も。
「あ、でも困ったところもあったんですよ」
 主を褒められ、まるで自分が褒められたように照れる。
「見境無く手を出すようなことはされませんでしたけどね、大変その……色好みであられまして」
 その言葉に、以前ベルカとトト・ヘッツェン探しをしたときの事を思い出した。
「隙があれば花街に行かれていましたし、隙が無くても行かれていましたし、……オルハルディ殿? 顔色が悪いようですが、やはり体調が……?」
「いえ……その、問題ありません」
 花街という言葉についマリーベルを、自身が客としてサナの娼館を訪ったときの事を、思い出しただけだ。
 
 二度目の疑惑を否定しようとした時、不意に部屋の外が騒がしくなった。
「ただいまー。リンナ! コール! 土産に街のメシ買ってきたから冷めねーうちにこっち来て食おうぜ!」
「もう、ベルカがあっちこっち引っ張り回すもんだからえこたん疲れちゃったよ。こういうのはオルハルディの役目なんだから、早く治してよね!」
 買い物に出ていたふたりが戻ってきたのだ。
 リンナとコールは顔を見合わせると、ほぼ同時に席を立った。  

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あとがき的なアレ
リンナとコールがお茶を飲みながら主の自慢をしあう…って話のはずだったんですが
あんまりヘクトルについて触れられていない…!

ところでコールの出自が気になるところです