駆け上がれ



 幼い頃から、夜伽に幾度も聞かせてもらった、英雄王の物語。
 いつしか、サナで衛士となり、王墓の離宮、そしてその街区の守護をすることが少年の夢となった。

 両親と兄、リンナ。幼い弟がふたり。そしていまだ赤子の妹。牛。一家全員がそろえば、家は少々手狭だった。が、全員そろうことはまれだった。
 父は農繁期は帰ってくるが、農閑期ではたいてい1ヶ月のスパンで出稼ぎに出ている。
 年の離れた兄は、街に出て出稼ぎをしつつの嫁探しに励んでいた。この小さな村には適齢期の娘などいないのだ。
 未だ11歳とはいえ、家では立派な働き手なのだった。

「リンナ、明日は3軒向こうのお兄ちゃんが帰ってくるから、午前中に畑の面倒を見てね」
 母の言葉に目を輝かせた。
「はーい!」
 元気に返事をして泥で汚れた手を洗い、夕餉の席に着いた。
 少年が持っているのと同じ夢を、一足先に叶えた者がいる。時折帰郷し顔を見せる彼の土産話は、そのひとつひとつがリンナの瞳を輝かせた。
 出稼ぎの者が帰ってくれば、夜には寄り合いがあり、酒の入る宴になる。未だ11歳の少年が得られるだろうかと期待可能なのは、夕方のほんの数時間だ。

 言いつけ通り午前中に畑の手入れを済ませ、牛に飼い葉をやって自身も昼食にありついた。村の共同の牧草地、その横のサイロのひとつから、夕刻牛にやる飼い葉を運ぼうとしたところで、村の入り口に佇む人影と馬に気付いた。
 はたと思い当たり、帰郷の予定の青年の名を呼ぶ。
 人影はリンナの声に気付き、手を振って応えた。


 サナのこと。たちならぶ屋台。石造りの家々。市場。
 小さな農村とは違う、街。
 衛士隊のこと。訓練のこと。街の見回りのこと。野盗。血生臭い事件。
 今はまだ幼い第一王子が立太子の暁には、サナも視察に訪れる予定だという話。おそらくはあと5年ほど後になるから、もしかしたらリンナがその姿を目にする事ができるかもしれないな、と。
 青年の話の何もかもが、少年の瞳を輝かせた。
 王子。お伽話でしか聞いたことのない英雄王の直系。お伽話が事実であることを証明する存在。
 寒村から見ればそれも到底手の届かない世界での話だが、サナであれば、あるいは。
 その王子が、王がいつもは王府ノイ=ファヴリルというところにいるらしい。というようなことは聞いたことがあったが、未だ村を出たことのない少年には到底、想像がつかなかった。

 いつも素直によく働く素直な少年の、たまの娯楽。
 それを温かい目で見こそすれ、責める者はなかった。

 ***

 流れ、過ぎていく少年の日々。
 畑仕事を終えた後、青年に習ったとおり、槍に見立てた棒きれを振る。踏み込む。突く。払う。足さばき。
 一心に夢を追い続ける彼を見つめる母の眼差しが、徐々に翳りを帯びていくのに気付くことはなかった。


 16歳の誕生日を迎える少し前のある日。母は意を決したように口を開いた。話がある、と。
「あなたがずっとサナの衛士様になることに憧れていたのは知っていたわ。でもそれはただの夢だと思っていたのよ。そんなに危険な仕事、本当は母さんは反対だわ」

 それは、リンナの初めての[反抗]だった。

 危険な仕事。それは間違いなく事実だった。
 青年は帰ってくる度に傷を増やしている。そのひとつひとつにまつわる武勇伝は、後から聞いてこそエンターテインメントにもなりうるが、当事者であれば、下手をすれば命のやりとりだ。身内の気苦労は計り知れない。
 それでも、危険があるとしても、叶えたい夢なのだ。
「うん……母さん、夢は夢だよ。でも俺はずっとこの夢を叶えたいと思って追っていたし、いまもそう思っている」
 あくまでも、諦めるつもりはない。
 話は半刻ほども続いただろうか。
 つよい意志のこめられた瞳に、母はついに折れたのだった。


 そして、出立の日が来た。
 村の人々に祝福され、小さな農村を出る。
 比較的近い街までは徒歩で、そこからは乗り合い馬車で。
 反対だと言っていた母だったが、出立の日には弁当を作ってくれた。もうひとつ。小さな袋にぎっしりと詰まった銀の貨幣。正直心配だった路銀の問題は氷解した。
 心からの礼を伝えて抱きしめた母は、すでにリンナの両腕の中にすっぽり入るようになっていた。


(ああ。文字が扱えればよかった)
 遠く離れ、初めて思い至った。そうすれば、故郷を離れても、鳥で連絡を取ることができる。
(サナに行けば、学ぶこともできるのかな)

 少年は夢へと続く階段を、一心に駆け上がっていった。 

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あとがき的なアレ
ショタリンナって絶対かわいいよね!!! と思って書きました。
今ですらあんなにまっすぐなのに、少年時代とかどんだけ素直だったんだろう。
いずれリンナの田舎にマリーベルさんが行く話とか書きたいですね!