Liina



 人の往来のさほどない寒村をも、大病禍が襲う。
 病に倒れ、続く干魃に灼かれる。
 その集落に、もう余力はなかった。
 姥捨て。間引き。口減らし。
 若い夫婦が懇願するも、今回は諦めてまたいずれ子を設けろと繰り返されるばかり。
 幼い娘は人手としては力不足と、森の奥に置き去りにされた。


「とうさま、かあさま……」
 深い森の中、心細げに幼子が歩いていた。
 既に日は随分傾いている。いずれ夜が来ればいつ獣に身を引き裂かれ、喰らわれるものとも知れない。
 今にも溢れそうな涙をこらえ、服の裾をぎゅうと握りしめて少女は歩き続けた。

 月明かりだけが頼りの森の中、何度も何度も転び、草が足を切り、枝がひっかく。獣の遠吠えを聞いては身を竦ませる。それでも諦めず歩いていた少女の前に、不意に人影が現れた。
「あ……っ」

 ──アモンテール。
 邪神の末裔で、いまも人に仇なす存在と聞かされている存在。実際目にするのは初めてだったが、白い髪に黒い肌。刺繍の入った一風変わった服を着て、背には大きな弓を携えている。
 この弓で射殺されるのか。それとも、差している短剣で貫かれるのか。とって食われるのか。
 ついに少女は、その場に座り込んでしまった。
 堪えていた涙が溢れ、ぼたぼたと地面に染みを作る。 
 それでも、何かを……と、手に触れた木の棒を握る。
 その顎をくい、と捕まれ、顔を上げさせられた。
「……ふうん」
 そしてアモンテールは少女を一瞥し、こう言った。
「自分の足で歩くか、あたしに抱えられていくか、好きな方を選びな」

 ずっと昔、貴族の屋敷で奴隷として働かされていたという[彼女]は、少女に湯を使わせると温かいスープを提供した。
「あの……ありがとうございます」
 当初は怯えるばかりだった少女だったが、ようやく表情がやわらかくなってきた。
「あんた、名前は」
「リイナ」
 ふ、と笑みを見せた。
「まっしろなあんたにはちょうどいい名前だったのかもね。で、あんた……村に帰りたいかい」
 あんたを捨てた村に、それでも帰りたいかい。
 その問いかけに、少女は迷わず頷いた。
 
「そうか。じゃあリイナ、あんたに呪いをあげるよ」


  ***


 ふと目が覚めた。
 そっとベッドを抜け出してカーテンの向こうを確かめると、夜空が太陽に焼き尽くされた残滓が見えた。東の空が赤い。
 随分、早くに目が覚めてしまったらしい。
 ふと隣のベッドに目をやった。未だ夢の淵にあるようだった。
 そういえば、こいつの寝顔を見るのも久しぶりだ。などとしみじみと考える。
 宿で泊まっても、彼は決まってベルカよりも早く起きては腹筋などをしているのでそんな機会はなかった。
 キツネの洞窟で、傷からくる熱に魘されていた時。
 当然かも知れないがそのときに比べると、随分安らかな寝顔に見えた。

 ふと、その唇に目が止まった。
 誘うように僅かに開いた唇。

 リンナに惹かれるようになって、どれくらいが経つだろうか。
 リンナが[マリーベル]の自分に惚れた、というのとは違う。はっきりと相手が男性だとわかって惹かれている。普通とは異質の想い。
 片恋の自覚はある。

 気にかけられなかったなら、こちらも気にならなかったかもしれない。
 リンナがまっすぐに向けてくる忠誠心。それを勘違いしてしまっているのだ。
 そう何度も言い聞かせている。
 それでも、鼓動は自分で止められない。

 そっと、その頬に触れる。

 ──リンナは目を覚まさない。

 顔をのぞき込み、囁きかけてみる。
「リンナ」

 ──わずかに睫が震える。でも、目覚めない。

 リンナの寝息を頬に感じる。
(ごめん、リンナ)

 心の中で詫びつつも、誘惑に抗い切れず、その唇で唇に触れた。
 自分の鼓動が跳ね上がるのを感じる。

 その瞬間。
 考えが及びもしなかった出来事が、起きてしまった。 

「殿下…どうし、て」
 切なげな瞳でベルカを見上げるリンナに、明らかな変化が起きた。
「リンナ!?」
 虚空を掴むように伸ばされた手をとり、指を絡める。ベルカのそれよりも大きかった手が、少し小さく。身体も全体的に。そして。
 先ほどまで寝台に寝ていた青年は、明らかに女性の身体をしていた。


『王子を愛してはいけないよ』
『おまえが心から愛した王子のキスは、おまえの呪いを解いてしまう』

 記憶の底に沈んでいた、[彼女]の言葉が蘇る。
 ベルカに向ける想いが、ただの忠誠だけでないのは気付いていた。
 それでも、そっと蓋をしていた。見ないようにしていた。
 ただの片恋。そして、ベルカに男性同士でどうこうなんて趣味があるようには見えなかった。
 かといって、女性の身であっては、ベルカの従者としてやっていけない。

「私は、ただあなたの腕の中で睦言を聞き、あなたの帰りを待ち、守られるだけの存在ではありたくないのです」

 ベルカ王子殿下をお守りしたい。その存在を、その心を。
 その一心でここまで来た。


 リンナの言葉をすべて聴き、ベルカはやわらかく微笑み、頷いた。
「そっか…じゃあ、一緒に呪ってくれる人を探そうな。今度は、キスだけじゃなくて…もっと色々しても解けない、強力なヤツを」


 ふたりにとって、性別など大した問題ではなかった。
 互いに、相手が自分と同じ想いを抱えていた。それだけわかれば十分だったのだ。

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あとがき的なアレ
「ベルカが悪戯心を出してリンナにちゅーしたらリンナが女の子になっちゃう電波を受信しました」
Twitterでそう呟いたらちょっと素敵過ぎるイラストを見せていただいたので
ちょっとほんとにこれは文章にしないと…と思ったのですが、
なんかあまりのアレっぷりにいたたまれなくなってきちゃって
最後がジャンプ漫画の打ち切り並みのアレでほんとすいません
ちなみに、フィンランド語で「Liina」は布とか生地とかそういう意味らしいです。
個人的にリンナは真っ白というよりも、未晒のエクリュなイメージ。大好きです生成。