くちづけ



 薄闇の中、ちゅ、ちゅ、と湿った音が響く。
 酸素を求め徐々に荒く乱れゆく息づかい。
 招き入れた舌に口蓋をなぞられ、ベルカはリンナの夜着を掴む指に力を入れた。

 こんな風に、人目を忍んでただ口接けを繰り返すようになったのは、いつからだろうか。
 
 視線が絡まる。
 鼓動が跳ねるのを感じる。
 これが、兄上が言っていた[恋]というやつだろうか。などと、ぼんやり考えた。
 が、すぐに否定する。
(おかしいだろ、そんなの……、あいつだって、そんなつもりはないんだろうし)
 リンナのはただの、いや、『ただの』なんて言葉で切り捨ててはいけない。
 純粋なる忠誠心、だ。
 それを疑うことも、他の何かに置き換えることも躊躇われた。
 ただし、否定しても答えは出る気配がなかった。
 ではなぜ、口接けを繰り返すのか? という疑問に。

(……娼館で女を買おうとするくらいだし)
 どこの誰ともしれぬ相手との交情が可能なのだ。男とキスするくらいならどうということはないのだろう、と強引に結論づける。自分が求めるからこそ、それに付き合い、応えてくれるのだ。本当は嫌なのかもしれない。
 そうしてよけいに、このいつ終わってしまうかもしれぬ口接けに没頭するのだった。

 ああ、そうだ。
 ふと思い返した。
 こいつが慣れない酒を飲まされたとき、初めて抱きしめられたのだ。
 おそらくは、[マリーベル]──この世のどこにもいない誰かの幻影を追って。
 これ幸いとそのまま腕の中にいた。その手を離さなかった。
 そして、せがんだのだ。言葉は介在させずに。
 きっと物欲しそうな視線で。
 きっと、今も。
 そうでなければ、今またこうして、リンナが自分を抱きしめ、口接けをくれる筈がない。


 腕の中で少しずつ蕩けていく愛しい主君。
 唇を重ねるようになったのは、ついここ最近の事だ。
 どちらからともなく視線を絡め合わせ、気づいたらリンナの腕の中にベルカがいた。おそらくは、飲み慣れぬ酒を少しでも口にしたことが、たがのゆるみの原因だろう。
 正気に戻ってから土下座の勢いで平謝りしたのだが、ベルカの反応は予想とは違うものだった。


 扉をひとつ隔てた向こうでは、今もエーコとシャムロックが酒盛りをしている。半刻やそこらで終わった試しはないが、確実に入ってこないという保証はどこにもない。
 荷物はこちらの部屋にあるのだ。宴会を終わりにはせずとも、たとえば昼間のうちに購入したつまみなどを取りに……なんていうのは、いかにもあり得そうな話だった。


 時折辛そうな瞳をするベルカの下瞼に薄く水が盛り上がり、目尻を伝ってつうっと落ちた。
 睫に僅かに残った露があまりに美しくて。その表情があまりに切なげで。
「っ……申し訳ありません、殿下」
 自分のものが熱を帯びたのを知り、慌てて身を離す。
 役得とばかりに続けてきたが、主君と行うこの行為に、臣下である自身が性欲を介在させてしまうなんてあってはならない。そう思うと、そのコントロールすら出来ない自分が情けなかった。

「……俺だって、おまえで勃つよ」
 ほら、と脚に擦りつけるように押しつけられたそこは、確かな熱が存在を主張していた。今の動作にすらも刺激を受けた様子で、短く息を継ぐ。

「……のに、なんでっ……そんな顔、するんだよ……」
 感極まり、溢れた滴がぽたぽたと落ちる。リンナの夜着を、掴んだままの手が震えている。
 なにも言えぬままにいると、ベルカが静かに指を離した。
「……ごめん。ちょっと、頭に血が上ってた」
「殿下、そのような……」
 リンナの言葉をさえぎるように続ける。
「おまえにとっては、これも仕事みたいなもんなんだもんな」
 優しさに、甘えすぎちまっただけなんだ、と自嘲する。
 次の瞬間、自身を抱く腕の力強さに息を詰まらせた。
「申し訳ございません、殿下」
 主君を抱きしめたまま、リンナは眉根を寄せた。
「私は……これも仕事と、割り切ろうとしておりました。その、王家には……そういった方向の、処理を行う係の者が存在するのかと……」

 ベルカが恐れていた未来。
 リンナの唇は、青写真をなぞるように言葉を綴った。

「ですから、私は……それを勘違いしてしまわないようにと、必死でなにも感じぬようにと努力をして参りました」
 不意に、ベルカがぼんやりと敷いた軌道から脱線した。
「私があなたをお慕いしている事を知られてしまっては、この任は務まらぬと判断されてしまうのではないかと……それを、おそれておりました」
「お慕い、って、それってつまり忠せ」
「申し訳ございません」
 詫びの言葉を口にした後、頬を掻いた。
「いえ……もっとその。性的な、意味で、ですね……」
 視線が揺らぐ。
「でもそれは、マリーベ」
「本当に申し訳ございません」
 腰掛けていたベッドから滑り降り、ひざまづいた。
「ベルカ王子殿下……私は、他ならぬあなた様のことを、お慕い申しております」

 おずおずと、その手を取る。
「もし……殿下がお嫌でなければ……永遠の忠誠と愛を、誓わせていただけませんか」
 その瞳があまりに真剣で、思わずベルカは首を横に振った。
「いらねえ……そんな事をしなくても、おまえが嘘をついていないのは…わかる」

 ──『永遠』を背負わせるのは、またベルカ自身が背負うのは、まだ荷が勝ちすぎた。

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あとがき的なアレ
1.リンナとベルカが宿でちゅっちゅしてる話
2.「……俺だって、おまえで勃つよ」
このふたつをミキサーに入れて3分間回します