源流愛しや



「マリーベル」
 いつものようにリコリスの店を訪った男は、やけに真剣な瞳をしていた。否、彼は常に真剣だった。

「話を……いや、頼みを聞いてもらえないだろうか」
 こう切り出した男は、憔悴しきった様子だった。目の下に隈が浮かび、青さを感じるほどにまっしろだった白目は充血している。
「衛士さま、どうなさいました? 随分、お疲れのようですが……お仕事が?」
 このサナで追われる身である自分は未だ、こうして潜伏している。オルバス公、あるいはその手の者が衛士に厳しく当たることは容易に想像できた。

「きみを思うと眠れないんだ」
 真剣そのものの彼の口から出た言葉が、予想と遙かに違い、ベルカ──[マリーベル]は目をしばたかせた。
「え、その、あ、ありがとうございま…す……?」
 落ち着かず視線を揺らめかせる。男もはたと自分の言葉のもうひとつの意味に思い至ったとあり、頬に朱がさした。茶を一口飲む。つられるように、[マリーベル]も椀に手を伸ばした。

「こんな事、女性であるきみに言うべきではないのかもしれないが……。男はその、たまるものを定期的に出さなければならない」
 口にした茶を噴き出しかけた。だが、言っている内容は実感を持ってわかる。健全な青少年であるところのベルカにとっても、城を出てから、いつどこでそれをするのかは重要な問題だった。

「自分で処理をしようにも、何を見ていても、どうしてもきみの姿が脳裏に浮かんでしまうんだ」
 きみを汚してしまうような気がして、途中で手が止まってしまう。かといって、と男は続けた。
「そのまま眠りに就こうにも、夜ごとにきみの夢を見る。このままでは、いつか夢できみを犯してしまう。」
 夢で何が起きようが、他者の知るところではない。自分だって咎めたりはしない。そんなことを気にせず、受け容れてしまえばいいのに。
 またこの男の実直さ、誠実さに触れた気がして胸が痛かった。 
 
「わ……わたくしでよろしければ……そ、その、手で、とかでも、よろしければ」
 彼が自分を想ってくれている事はよくわかっている。気持ちを裏切り続けている自覚があるからこそ、自分に出来ることであれば、なんでもしてやりたいと思っていた。

「本当かい!? マリーベル……」
 驚いた様子の男に、はにかんだ、もしくは少しひきつった笑顔を向けた。自分のものなら握り慣れているし、抜きっこをして兄を上り詰めさせたこともある。それにこの方法であれば、性別は関係ない。
「しかし……きみの手を汚させるのは……」
 ここをどこだと思っているのかと、全力でツッコミを入れたい気分だった。

 しばらく考えた後に男は、名案が浮かんだとばかりに手を打った。
「きみの足で、してくれないか」

 足で。
 話には聞いたことがあるが、実際どうすればよいものかさっぱりわからない。
 リコリスに訊いてみるか、と、考えるのを諦めて決心する。
「ええと……それは構いませんが、やり方を教わりますので、もう少し深い時間になってから、もう一度いらしていただけますか?」
 ご足労をおかけしますけども、すぐには。と睫を伏せた[マリーベル]に、男は勿論。と頷いた。

 カーテンの隙間から様子を伺い今は客がいないことを確認し、[マリーベル]は目通りの間に顔を出した。リコリスを捕まえ、簡単に事情を説明する。
 それをすべて聞き、リコリスは形のよい唇をつりあげた。
「ついに落ちたか」
 楽しそうな口調に、そんなんじゃねえ! と否定する。
 きゃあきゃあと盛り上がる娼妓たちの言葉の断片からすると、どうやら賭けの対象になっていたらしい。
「つーかだいたい、ありえねーだろ! こんなカッコしてるけど俺は男なんだし」
 ふうん、とリコリスはもう一歩踏み込んだ。
「じゃあ女だったら抱かれたいって思ったってことね」
「なっ……違っ……」
 かっと赤くなった[マリーベル]を楽しそうに眺め、リコリスはくるりと踵を返した。
「おいでマリーベル。直々に教えてあげるよ」


 街をあかく染めていた夕陽がすっかり落ち、月と星が空を飾る。花街こそどの店にも灯りがついているが、表の方はすっかり閉めてしまっているだろう。
 約束通りに、男はやってきた。いつもの、話だけをする部屋とは違う部屋に通す。
 ベッドが面積の大部分を占めるその部屋で、男はどうにも落ち着かない様子だった。部屋の真ん中で立ち尽くす男に、せめて椅子かベッドの端に腰掛けることを勧めると、いつもの真剣な眼差しを向けられた。
「本当に、いいのかい」

 頷き、目を伏せる。
「衛士様がお嫌でなければ……わたくしは」
 次の瞬間、強く抱きしめられた。ふわりと石鹸が香った。
「こんなことを……させてしまって、すまない。ありがとう」
「衛士様、おかしなことをおっしゃいますのね。ここがどういう店なのかは、ご存じなのでしょう?」
 娼館で、こういうことをしない方が普通でない。そもそもどんなつもりで、あの日ここを訪れたというのだろうか。

『いいかい、アタシらのドレスは衣装だし、多少汚れても洗える。だけどお客さんはまたその服を着て帰らなきゃならないからね』
 だから、あらゆるプレイの前に、まずは全部脱がせるのだという。
 他人の着替えを手伝った経験などあるはずもないが、たどたどしい手つきながらもなんとか脱がせ、簡単なガウンを羽織らせて服を籠におさめる。面倒な構造の服でなくてよかったと、内心、安堵した。
「衛士さま、とても……筋肉質でいらっしゃるんですね」
 引き締まった身体は実用的な筋肉で覆われ、無駄な脂肪のいっさいを許さない様相があった。
 正直、羨ましい。[マリーベル]──ベルカの身体は成長途中で、無駄はないものの筋肉も未だあまりない。自分では若干、貧相だと思っていた。だからこそこうして女装をしても、あまり違和感がないのだが。
 男の方も、腰で申し訳程度に紐を結んでいるものの、大きく開いた襟元からぺたぺたと胸筋に触られるのがまんざらでもない様子で、緊張でやや固かった表情が緩んでいた。
「仕事柄、鍛えないわけにはいかないからね」
 

 リコリスに教わったとおり、ベッドの端にクッションを積み上げる。
 そこに凭れかからせ、少し待っていてくださいね、と告げて自分の方の支度を始めた。
 ドレスの下にはいていた、ぴったりとした下衣と膝下のリボンをはずし、ドレス以外には下着だけの状態になる。
 大きく開いたスリットから中が見えないか心配でもあったが、まあ大丈夫だろうと判断した。
 ふと眼前にあった鏡で後ろの様子を窺うと、男はちらりとマリーベルを見ては、いやいや、と頭を降って視線をそらしていた。何度も、何度も。それが何故だか可愛らしいように見えた。
 部屋の隅においてあったバケツには、ぬるま湯と、その中に絹の靴下が入っている。行為にはこれを用いるのだ。
 足で、と言い出したのは男の方だったが、どうやら手順について詳しいようではないようだった。教わっといて正解だったな、等と考える。

「未熟ですので、失礼がありましたらすみません」
 相手が言葉を紡ぐ前に行動に出た。正面から足先を伸ばし、足の付け根、ガウンで隠れているその奥に触れる。黙視は出来なくても、それがはっきりと熱を帯び、脈動しているのが布一枚越しに伝わってきた。
 緩慢に足先を動かし、まずはゆっくりとその形をなぞる。男が熱い吐息を漏らした。
「ああ……夢のようだよ、マリーベル……」
 まだ始めたばかりだというのに、目の縁を染め、濡れた瞳で[マリーベル]を見つめる男の表情は蕩けきっていて、夕刻に見せた憔悴は完全になりをひそめていた。
 とりあえず、喜んではもらえているらしい。ほんのりと胸が温まる感覚に戸惑いを覚えた。
 ──努力して、それが認められたから嬉しいだけだ。
 掴み所のない疑念に言い訳じみた答えを投げつけ、その部分の意識をシャットした。
 行為にのみ、ただ、集中する。
 男の様子を窺い、気持ちよさそうなら続ける。そうでないなら場所や方法を変える。それを繰り返す。
 リコリスに、教わったとおりに。


 びくん、びくんと男のものが何度か震えた。
(……あとちょっとか?)
 追い立てる足に、もう少しだけ力を入れる。
「ッ……マリーベル!」
 不意に抱き寄せられ、腕に強く力を込められた。
 その勢いで足先はそこから外れたが、熱い液体が内股にふりかかる感触で男が達したことを知った。
 余韻に浸るようにそのままでいたのも十数秒だろうか。
 ゆるゆると[マリーベル]を解放すると、男は寝台の上で脚を折り畳み、俯いた。
「俺は……キミを汚してしまっただろうか」
「後悔、しておられるのですか?」
 自分でも何をしているのかわからなかった。
 脚に点々と散る粘性のある液体を指ですくい上げ、唇に運んだ。そしてそのままくちづける。苦いキス。

 絶句し目を見開いた男に、やわらかく笑んで見せた。
「ここは夢を売る場所です。一夜の夢とお忘れになるのも良いでしょう。でも……」

 そこから先を、言葉にすることはなかった。

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あとがき的なアレ
先日の逆パターンを…と思ってのリンマリです。
タイトルは、「高原への道は」の次点希望として挙げていただいていたのを
そのまま使わせていただいてしまいました。