※残酷描写というか、船長を殺害しているだけの話です。
苦手な方はどうぞ回れ右なさってください

凍てつく瞬間



「だから……いいだろ?」
 振り翳したナイフはしかし、ロヴィスコを傷つけはしなかった。こぼれた刃は、厚い布の繊維をいちどきに切り裂くことができず、阻まれる。
 もう一度、今度は突き立てる。鋭利なその切っ先は肌に達したが、今度は肋骨に阻まれる。ロヴィスコは苦痛の呻きを漏らした。
「ライ、ツ……どういう、つもり、だ……」
 傷ついた部分から見る間に血液が溢れだし、白い制服を鮮やかな赤に染める。これだけ胸に近いと、血液はこんなにも鮮やかな色をしているのか、などとぼんやりと思った。
 医術師ならば詳しいのだろうか、と、浮かんだ影を打ち消す。

 壁際に追いつめたままのロヴィスコの喉元にぐい、とナイフを押しつける。表情を歪めるのに満足した様子で囁きかけた。
「脱げよ、下だけでいい」
 手にしたナイフがロヴィスコの服を裂き、皮膚を破り、肉を抉って飲み込まれる。そんな情景を想像して、興奮している自分に気付いたのだ。
 それはある種の征服欲なのか、形を変えた独占欲か。
 まるで自らのもので貫くときのような、感覚のイメージ。
 苦痛の声が、乱れる吐息が、行為の際のそれに似ている。おそらくはそのせいだろう。
 海の上に居た時は、幾度となく犯し貫いた。時にはライツの方からロヴィスコに、[抱かれた]、もしくは[乗った]こともある。
 それだけのことをされて尚、この男は単身でこんなところに乗り込んできた。
 危機感というものがないのか、それとも。
 それを望んでいる、のか?

 ひんやりと冷たいナイフの切っ先を首筋に押しつけ、寝台に手を突かせ、尻を突き出させた。
 潤滑材を絡めた指でおざなりにまさぐり、それを侵入させる。強引な情交を繰り返すうちに力の抜き方も覚え、指の数本なら容易に挿入を許すようになった。坊ちゃん育ちでクールぶっている癖に、身のうちは酷く熱いのだ。それを揶揄するような、猥雑な言葉を口にする。

「そう、だな……だいぶ、慣れた」
 それに反発するでも、恥じ入るでもなく答える。
 指を抜き差しされる刺激に膝は笑っているが、息を詰まらせることはあれど、声は震えもしていない。

 その表情を歪めさせたくて、自身を押し当てると、勢いを付けるように奥を抉る。粘着質の水音がその度に船室に響き、苦痛の呻きが漏れる。そんな強引な抽挿を繰り返す。
「ライ、ツ……」
 乱れがちな呼吸の下、ロヴィスコが呼びかける。
「そんな、やり方じゃあ……おまえも、気持ちよく……なれないだろう」
 その言葉に神経を逆撫でられ、また深く奥へと突き込む。
「ヒトの心配、してる場合かよ!」
「ぐっ……!」
 痛みと内蔵を抉られるような不快感に、顔をしかめる。それでもロヴィスコはどうにか呼吸を整え、語りかけた。
「犯し犯されなら、気持ち良くなったもの勝ちだと…言ったのは、おまえだ。ライツ」
 ぞくり、と戦慄が走った。
 いつか強引にこの男に乗ったときに口走った言葉。それを、覚えているというのか。倣おうとしているというのか。

 この男の、底が見えない。

「……どうした?」
 おそらくは動きを止めたことに対する問い。
 響きに込められているのは、気遣い。
 何故こんな状況で、相手を気遣うなどという芸当が出来るのか。

 ああ。

 ひょっとすると、この男は海そのものなのだ。
 あらゆるものをまずは受け容れ、飲み込む。
 そうして長い時間をかけ、ゆっくりと変容させ自分のものにしてゆく。経験でも、考えでも。
 犯すことはできても、侵すことはできない。
 いずれ自分もこの男に絆され、懐柔されてしまうのではないか。こちらの心を侵されてしまうのではなかろうか。そう思うと、無性に怖くなった。
 快楽を追うでなく、上り詰めさせるでなく、ただ強引に、奥へ奥へと突き込む。粘着質の水音がその度に船室に響き、苦痛の呻きが漏れる。
 水音は、打ち寄せる波のように、
 その声は、吹き付ける風のように、

 錯覚する。

 まるで自分が、波に揉まれる一隻の船であるかのように。


 ライツは自身を引き抜き、苛々と舌打ちをした。気は済んだのかと言わぬばかりに下衣を整えるロヴィスコに対し、募る苛立ちと収まらぬ興奮に。ライツはロヴィスコを乱暴に床に引き倒すとその上に馬乗りになった。
「全く……おまえはいつも乱暴だな、ライツ」
 諦観したような呆れるような、何故か優しさを帯びた声。
 こうしてナイフを突きつけられて何故、そんな口振りで話せるというのか。
 なんでおまえはそんな顔をしている。
 陸地に上がって時が経っても、なおおまえは気高い船長だと言うのか。
 俺はこんなにも満たされないのに。
 俺はこんなにも渇いているのに。
 突きつけたナイフを頚許から退く。
 力任せに胸に突き立てる。布地に阻まれたそれに、体重をかけて押し込んだ。
 目が瞠られる。
 咳きこんだ唇の端から、血がこぼれる。
 伸べられた手が、力を失って落ちる。

 ──ああ、呆気ない。
 
 ナイフを引き抜くと、生温かい血液が噴き出した。
 しろい制服を、ライツの服を、頬を汚す。
 不意にライツは思い出した。二度にわたる血の交換を。
 一度はライツの、もう一度はロヴィスコの生命が脅かされたとき。互い以外に血液型が合う者が居らず、それぞれに提供した。
 その時はあれほどまでに熱く感じた血の。情交の際に抉る粘膜の。くわえ込んだ脈動の。深く口接けて絡め合う舌の。温度が。
 こんなにもすぐに失われていってしまうものなのか。


 苦痛を受けて尚、死に顔は、信じられないほど安らかだった。
 だから、ライツはロヴィスコが事切れてからも尚、ナイフをその胸に、腹に、突き立て続けた。
 なんでおまえはそんな顔をしている。
 こんな血の海に墜ち単身泳いでいても、なおおまえは気高い船長だと言うのか。
 俺はこんなにも満たされないのに。
 俺はこんなにも渇いているのに。
 俺は、もっとおまえを────。

 厚い布地で阻まれる、こぼれた刃がもどかしい。
 ──が。この服の脱がせ方は、結局わからずじまいだった。
 息をするのも苦しいほどの、噎せ返るような錆臭さと生臭さの中、ただライツは何度も刃を突き立て続けた。
 勢いをつけ振り下ろしても、布地に阻まれてしまう。
 ロヴィスコに馬乗りになって両の手でナイフを逆手に握り、ゆっくりと突き立て、体重をかける。
 先端は繊維の隙間を突き、その隙間を押し広げるかのように刀身が潜り込む。
 布地を通過すると皮膚が、一瞬の抵抗の後に驚くほど容易に切っ先の侵入を許す。ごり、と骨を掠め、ざくり。ずぶり。胸壁をやぶった切っ先は肺実質へと到達する。
 胸部を刺しているというのに、血液は噴き出さない。引き抜いては別の部分を抉る、その圧力で押し出されるように流れ出すだけだ。
 そんなことに、ああ、鼓動が止まると血は巡らないのか、という当然のことに、ロヴィスコがもはや生きてはいないという事実を再認識する。
 胸から流れ出す血液は、未だ鮮やかな紅い色をしているのに。
 船室の床にたまった血液は、最近は磨かれることもなく、木肌に毛羽の見えつつあるそこにゆっくりと吸い込まれながら既にその色を変え始めていた。
 白かった制服をじっとりと濡らす血液も、端からぱりぱりと茶色みがかった赤黒い色にかわってゆく。
 時間が変えてゆく。時を刻む、鼓動の止まったロヴィスコを置き去りにしてゆく。
 時の流れなくなったロヴィスコをよそに、日が傾く。影が長く伸びてゆく。
 何度も何度も、ライツはロヴィスコの亡骸に刃を突き立てた。
 赤茶けた血に彩られた制服を、ふたたび鮮血で染めあげようとでもするように。
 手淫で追い立てようとするときのように。
 行為の際に激しく抽挿を繰り返すように。
 ごり。ざくり。ずぶり。ごり。ざくり。ずぶり。
 存外に体力のいる作業に、息が上がる。

 時の止まった男と、その時を動かそうとするかのような男。ふたりだけの、血のにおいで淀んだ部屋に風が吹き込んだ。
「船長…お話はお済みですか? 日も傾いて来たのでお迎えに──…」
 言葉は最後まで続かず、悲鳴に取って代わられた。

BACK





あとがき的なアレ
ライツはロヴィスコ船長を刺す時興奮してたとかそんな話から
ネタまるかぶりもなあと思ったのですが、「もっとざくざく して いいのよ !」という
言葉をいただいたのでざくざくしてみました。
しかし当初は間にこうせんさーどなシーンが入るはずだったのにおかしい…

2011/02/01修正再up
せんさーどな部分しかこないと思ったらここに挿入したらちょうどよさげだったので!