ことば



「たったこれだけか」
 3桁の[志願者]の殆どと護衛・侍女が去り、ずいぶん広くなった感じのする控え室の様子を見て、ヘクトルはコールに問うた。
 志願してきたのは、ほぼ親が何かを勘違いしていた令嬢ばかりとはいえ、規定の距離を走り切れた者は、わずかに5名。
 タイムまで考慮すると、本来の規定時間以内に走り切れたのは2名。結局、そこでふるい落とすことはしなかった。時間はかかっても、途中で多少歩いても、それでも走りきったという事実を重視した。
 それに、兵の仕事は走ることばかりではない。ヘクトルも言及したとおり、戦略室や楽隊であれば危険は少ない。足の速さもさして重要ではない。平時であれば、だが。
 体力がなければ、訓練についていくのは大変であろうが。
 それでも、残った5人は皆、この領地を、ひいては国を支える礎になりたいという情熱を持った者ばかりだ。

「しかし……ヘクトル様、正直意外でした」
「何がだ」
「もちろん、昨日の件です」
 持久走を含めたいくつかの体力テスト。あまりの人数に予定よりも大幅に時間が押してしまったため、口頭試問は明けた今日執り行うことにしたのだが、落ちた令嬢たちをすぐに帰したこと、だ。
 オープンエロを自認するヘクトルが、その中のひとりやふたりに手を出す可能性はゼロではないと気にかけていたのだが。
「ヤシュカ」
 通過者5名分の書類に視線を走らせていたヘクトルがコールに向きなおった。
「いくら俺でもな、好みとか萌えポイントとか、そういうのはある」
 ただ王太子妃の座を狙っているだけの令嬢になんて惹かれん、と言い切るヘクトルに、コールは目を瞬いた。
「俺はな、生まれたときから第一王子なんだ」
 生まれたときから、いや、生まれる前から軌道を敷かれ、将来を約束されている、もしくはがちがちに拘束されている、立場。
「王子であり王太子であるというのは確かに俺のアイデンティティのひとつではある。だが、俺が王太子だから、なんて、それだけの理由で足を開く娘には興味がない」
 ……いや、傾きかけた下級貴族の両親の期待を受け、意に添わぬまま志願する……そんなストーリーならあるいは……。そんな妄想の中へと意識を飛ばし始めたヘクトルを、コールはまじまじと見た。そんな直截的な……とツッコむのも忘れて。
 ああ。また自分は誤解をしていた。
 まだ自分は誤解をしていた。
 従者となってからもうすぐ1年。遊学先の学者に師事しながら直轄領を治めるという、大変忙しい日々を送るヘクトルを支えていた。
 コールが学んでいた師匠のもとへヘクトルが遊学に来てから数ヶ月。それに加え、今の場所での数ヶ月。だいぶヘクトルのことを知ったと思ったが、まだ理解し得ていない部分は多く残っている。それを思い知った。
 誤解に恥じ入り謝罪の言葉を口にするコールだったが、ヘクトルは首を振って笑い飛ばした。
「人に、他人のすべてを理解する事なんて出来やしない。……だが、おまえみたいにそれを理解し、そこで諦めない奴が、俺は好きだ」
「……ヘクトル様」
 いつもおちゃらけているように見えるが、いや、実際おちゃらけているのだが、時折いいことも言う。
 それが深く深く、コールの胸に刺さっては溶けていくのだ。あまりに自然で当然で、すとんと腑に落ちる言葉。
 話術に依るところもあるが、何よりも、信念のもとに筋の通った事を言っている。その事が、ヘクトルの言葉にさらなる力を与えているのだろう。
 改めて気分を引き締め、再び書類に視線を落とすヘクトルの横顔を見つめた。

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あとがき的なアレ
「特別編」妄想補完。
兄上の本気っぷりとコールが! コールが! 可愛くて!!
今回の出来事は非常に遺憾ですけども…