兆す春その扉



 馬車の上では鴉と渡り合うのに使われた杖は、今はただ、歩むための補助具として使用されていた。手引きをしてくれた兵たちに礼を言って別れ、やがてカミーノの城門にたどり着いた。
 人影を認めた瞬間、追い返そうとした衛兵に名を名乗り、中に取り次いでもらえないかと申し入れる。
 やがて、ふたりが城門に姿を現した。
 エーコと、もうひとり。リンナの知らない人物。
「オルハルディ!」
「エーコ殿! ……と……」
 もうひとり、王太子直轄領の制服を来た青年。年頃はリンナよりも少し下くらいだろうか。エーコが青年に目配せをし、頷くと、胸に手を当てて礼を取った。
「オルハルディ殿ですね。ベルカ殿下やエーコ殿からお話は伺っておりました。私はヤン・ヤシュカ=コールと申します。ヘクトル様の従者を務めておりましたが、いまはベルカ殿下と」
 リンナも同じく礼を取り、名乗った。


「──しかし、キリコ卿はカミーノを[死の町]と称していましたが、ずいぶん活気があるように見えますね」 
 エーコがさらりと最近の出来事をかいつまんで説明した。水門で別れたベルカとともにホクレアに報せに行ったこと。聖地に侵入した兵たち。大病禍は治せぬ病ではない、ということ。そして、キリコの提示した条件。
 改めて、あのままあの場所にいては、如何にベルカを危険にさらすことになり得ただろうかと、戦慄する。
「……そんな事情があったから、罠かもしれないから、って言って、確認のためにえこたんが来たんだよ」
「私は、万が一そうであったときの為に」
 その必要がなくて何よりでした。そういって笑みを浮かべるコールは、陰を抱えている様子は微塵もなく。ベルカの隣に立ち仕える者がいたことに、安堵とともに一抹の淋しさに襲われた。
 いや、当然だ。自分が慕う、王の子であるベルカが捨ておかれ顧みられない事態の方が、余程異常なのだ。
 その胸中を知ってか知らずか、エーコがリンナを睨み付けた。
「オルハルディ」
「エーコ殿?」
 ぐい、とリンナの腕を掴むと、コールに告げた。
「ごめん。ちょっとだけふたりにしてもらってもいいかな。ベルカに会わせる前に、言っておきたいことがあるんだ」
 コールが頷くのも待たず、手近な部屋に引きずり込む。抵抗の意志も力もなく、リンナはただされるがままだった。
 リンナを部屋に押し込んだエーコは後ろ手に扉を閉め、詰め寄った。
「ほんとにほんっとに心配したんだからねっ! 死んじゃったかと思ったんだから!」
 その勢いに気圧される。
「殿下にもエーコ殿にも大変ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「謝って済むと思ったら大間違いだよ!」
 いつになく、エーコが熱くなっていた。
「エーコ、殿?」
「きみはさ、守るべき相手を守って死ぬなら本望だーなんて思ってたかもしれないけど! それで死なれたらベルカはどう思うか、考えたことあるの!?」
 核心を突かれ、言葉に詰まる。
「それは、その……」
「まさか、きみ以外にベルカを守れる人がいないなんて、そんなこと考えてないよね」
 はっきりと考えた事こそなかったが、他の誰かを頼ろうという思いが浮かばなかったのは確かだった。
「そんなのはただの思い上がりだよ! ……たとえば盾になることは、剣を振るうのは、きみじゃない他の誰かにだって出来る」
 たとえばさっきのコールだって、という言葉に、何も言い返すことが出来なかった。
「逆に、きみ以外に守れる人がいなかったら、きみがいなくなったら誰がベルカを守るっていうのさ。……いい? きみにしか出来ないことは、きみにしか守れないものはたったひとつしかないんだから。それをちゃんと考えて行動してよね! きみが死んだと思ったベルカは、本当に酷い状態だったんだから!」

 たっぷりと釘を刺され、ようやく解放された。扉を開けると、コールが気遣わしげな視線をふたりに向けた。
 なんでもないよ、と微笑むエーコに、そうですか……といまいち納得のいっていない様子で、しかしそれ以上踏む込むつもりはないというサインを示した。

「ベルカ!」

 もう少し奥の、幾分造作が豪華なつくりの扉。エーコがノックもそこそこにそれを開ける。
 扉の向こうに視界が開けるのと、落ち着かぬ様子で部屋の中を歩き回っていたベルカが入り口に向かって駆け出すのと、ほぼ同時だった。
「殿下……!」
「リンナ!」
 飛びこんできたベルカを支えきれずよろめく。
 あっ悪い、と言って一度身を離すも、ぎゅうと服を掴んだ手はそのままだった。
「あの時、おまえは死んじまったって……亡くしちまったって、思ってた……。王府から使いが来たときも、そんな事におまえの名前を使うなんてって……。ずっとおまえの……。おまえが……。俺を…王の子って…だから……。おまえ、に、会いたかっ……」
 言いたいことが、想いが溢れすぎて、順序立てて話すことが出来ない。そんな状態でただしがみつくベルカの背に、そっと手を添えた。
「馬鹿野郎、心配したんだからな! もう…、もう、会えねーって、思っ……」
 カミーノとの引き替えを拒んだ件もある。ベルカは、リンナの身よりも、リンナの想いを選んだのだった。本当に生きていたとしても、例えもう会う事が出来なくても、その想いを裏切りたくなかった。
 しかしその選択をした後も、ずっと心に重く引っかかっていた。本当にこれでよかったのか。一旦は条件を飲むようなフリをして、何か作戦を立てた方がよかったのではないか。断ったことにより、リンナはいったい何をされてしまうのか。

 そして何より、生きているならばもう一度会いたかった。
 もう一度、その体温を、あたたかさを感じたかった。

「ご心配をおかけして、申し訳ありません、殿下……しかし私はこうして、殿下のもとに戻って参りました」
 どうか、お許しいただけませんでしょうか。その言葉にしかしベルカは首を横に振った。
「許さねぇ……もうずっと、俺のそばを離れるな……」
 涙を拳で拭いながらそう言うベルカの前に、跪いた。
「ありがとうございます。喜んで、どこまでも……この命続く限り、お供させていただきます」
 いつかそうしたように、手を取る。今度はベルカも振り払おうとはしなかった。

 ベルカの心に添い、生きていくと決意を新たにする。その甲に唇を押し当て、いまひとたび、永遠の忠誠を誓った。


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あとがき的なアレ
3月末までは公式でリンナとベルカに会えそうにないので開き直って再会捏造です!
えこたんに詰め寄られるリンナが書きたくて。