解きほぐしの温度



「きみは、温泉には行ったことがあるかい?」
 温泉。
 その存在は聞いたことがあるが、実際に目にしたことはなかった。
「いえ……怒れる山のあるところで、あたたかな清水が湧き出すと、話に聞いたことはありますが、実際見たことは」
 正直にそう告げた。
 王府ノイ=ファヴリルも高低差の激しい土地であったが[静かな山]と呼ばれる存在で──科学的に知られているわけではないが、すなわち、堆積土砂と地殻変動で出来た隆起だ──温泉は湧かない。
 だがこのサナは、生きた山、怒れる山と言われる存在──すなわち火山ーーのようには見えなかった。
 山は青く、噴火や地震の爪痕もない。
「ああ、このサナは英雄王を祀っているだろう。普段は英雄王のお力で山は静かだが、数十年、あるいは数百年に一度、英雄王のお怒りに触れると噴火すると言われているんだ」
 前回はそれこそ、百年とすこし以前に山が爆発し、吹き上げた灰や土砂で実に三日の間、空が暗かったのだという。──ちょうど、カリュオンで後継者争いのいざこざがあった頃だというのは、彼らには知らぬ話だった。

「恐ろしいことですね……」
 山が火を噴き、まちが覆われていく想像をしてみる。逃げまどう民、流れる溶岩。積もる灰。
 勉強はさぼりがちだったが、師に見せられたその絵があまりに衝撃的だったことは覚えている。背筋を冷たいものが流れた。知らず眉根に力が入り、目を伏した。
 深刻な表情をしたのを見て取った男が、そうあることではないし大丈夫だ、と、軽く手を振った。
「そうだ、温泉に行ったことが無いなら、よければ」
 そこまで言って、はたと男の言葉が途切れた。
「衛士さま?」
 何事かと顔を見上げると、硬直したまま耳まで染めていた。
「あっ……足湯! 足湯にでも行かないか」
 話の流れとはいえ、なんてものに誘おうとしていたのだ……と、そう顔に書いてある。
 服を脱げば色々とバレてしまうベルカとしても、温泉など誘われても断りの一択しかない。
 だが、足湯ならば。


 サナ郊外、少し山道を行ったところに、それはあった。
 自然と湧き出る温かな水、その周囲には簡単な椅子などが置いてあり、自由に足を差しれられるようになっていた。
 腰掛け靴を脱ぎ、足を包んでいたレッグウォーマーを膝までたくしあげる。ひんやりとした空気に肩をすくめ、湯気の立っているそこにおそるおそる足を差し込んだ。
 ちゃぷ、とわずかに湯が跳ねる。
 想像していたほどは熱くなく、じんわりとした温かさが足先を迎えた。
 ゆっくりと気持ちが解れていくのを感じ視線を向けると、ちょうど男もブーツを脱いで足を湯に浸すところだった。
「気持ちの良いものですね」
 すぐ隣に座り、ためらいがちに重ねられた手を、払おうとはしなかった。街区よりも少し標高が高く、徐々にあたたまりつつあるとはいえ若干の寒さを感じていたところで、無意識にその温かな手の持ち主に身を寄せた。
 頬に肩先が触れ、なんとなしに見上げる。
 視線が絡み、次いで男の顔が近づく。
 戸惑う間もなく唇が重なり、思わずぎゅうと目を閉じる。重ねられた手にほんの少し、力がこもるのを感じた。
 足と手と唇であたたかさを共有する。永遠にも思える時間。
 やがて唇が離れ、いつしか手の指も絡み合っていた。
 不思議なことに、男と口接けたことに対する嫌悪感はなく、募るのはただ、[マリーベル]として男を騙し続けることに対する申し訳なさばかりだった。

 湯に浸かり強ばった身体が解れるように、男の温かさに、すこしずつ蕩かされていくようだった。

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あとがき的なアレ
遊行寺たま先生のブログにて、
サナの設定として「地味に旅籠に温泉浴場や足湯があったりします。」という記述を拝見し
足湯ガッタアアァァアァァン! となったので…すが……

感じた萌えを、文章を通じて感じ取っていただけるだけの文章力が欲しいものですね