切らずの円環



 不自然な動きを見咎め追求したのは、一種の職業病かもしれない。
 サナ衛士として不審者や、そうとは見えないくても何らかの叛意を持っている者を、何人も摘発してきた。
 もちろんマリーベルにそういう意図があるとは思わなかった。気になったので訊いてみた、程度の表現が適切であろう。

 男の視線から隠すように体の後ろに回されていた右手は赤く腫れ、触れると熱を持っているのがよくわかった。
「いただいた腕輪をつけていたら、いつの間にか鎖が変に絡まってしまったようで……後でほどくつもりだったのですけれど、気がついたら食い込んでしまっていて」
 すまなそうに告げられ、むしろこちらが申し訳なくなってくるようだった。こんな事の無いよう、きちんと計測して長さの調節をするべきだった、と。
 差し出されたままの手の鬱血はまださほどではない。とはいえ、口には出さないが痛いだろう。一刻も早く解かなければ。
 少しでも早くマリーベルの顔を見たいと、仕事の後制服のまま来ていた。もどかしく思いながら手甲と手袋を外し、食い込んでしまった鎖をそっと引っ張ると、先ほどと同じような声音で、上目遣いに見上げられた。
「その……切れたりしたら困りますので、あまり乱暴にしないでいただけると……」
 頷き、もちろん、と答えた。
 頬を染められてそのような事を言われると、ついよからぬことを考えてしまう。優しくするよ、などと口走ってしまいそうになる。
 いや、場所を考えれば、けしておかしいことではないのだが。
 こちらには何度も足を運んだが、マリーベルとは未だ、唇を重ねるだけのキスしかしたことがない。それについて焦る気持ちはなかった。少なくとも、客を取ることがないうちは。
 こんなにも一人の娘に惹かれたのは初めてだったが、だから一気に想いを遂げよう、と、行動にでるだけの若さ、もしくは堪え性のなさは無かった。
 彼女を支えるもののひとつになれればいいと、そう思っていた。
 かといって、老成には未だほど遠い。彼女の身が脅かされることがあれば、そんなことには堪えられないだろう。
 なのに。自分が贈ったものが、いま彼女に痛みを与えている。
 マリーベルを座らせ、その前にひざまずくような姿勢で手を立てた膝の上に載せさせる。
「あの……衛士さま。これでは……。椅子か何か、お持ちしますので……」
 もし誰かが目にしたら、まるで貴婦人に忠誠を誓っているように見えるだろう。
「構わない」
 場所的には似つかわしくないかもしれないが、今は2人きりだ。問題ないだろう。


 男のごつごつと節くれ立った手が、慎重に絡まった鎖を解こうとするのを、ベルカはじっと見ていた。
 きれいに短く切りそろえられた爪。。槍を握り振るうためだろうか。胼胝のある、ゆび。そして何度も皮がめくれ、そのたびに皮膚が堅くあつくなっていったのだろう分厚い手のひら。
 ベルカのそれよりも巧緻性に欠けていてもおかしくはなさそうな指先が繊細な細工の入った鎖を摘み、あちらこちらをそっと引っ張って格闘している。
 その顔は真剣そのものだった。
 こちらの身を気遣ってのことだろう。引っ張るときは非常に用心深い。
「痛くはないかい、マリーベル」
「はい、大丈夫です」
 時折尋ねられ、そのたびに頷く。
 不意に、締め付けられていた右手のいましめが消えた。瞬間、ほどけた! と男が声を上げた。
 安堵し、心からの笑みを向ける。
「──ありがとうございます、本当に」
 赤黒く腫れた手の血を巡らせようと、ゆっくりと握ったり開いたりを繰り返した。
 正直、助かった。
 このタイミングで男が来なければ、最悪この腕輪を引きちぎるか、医者に駆け込む羽目になっただろう。医者はまずい。きっと手を見れば、[マリーベル]の中身が少年であることくらいは見抜いてしまうだろう。
 引きちぎる。それは本当に最終手段だ。ベルカは先ほど自らが口走ったことばを思った。
 切れたりしたら。
 意味を知り、受け取らなければよかったとまで思ったこの装身具。何故だろう、それを失いたくなかった。


 ほっとした様子の笑みを向けられ、胸中に温かさがほんのりと広がる。
「いや……俺が贈った物のせいでキミになにかあったとしたら、俺は……」
 未だ赤みの残るマリーベルの手を取り、緩やかに擦った。愛しい者のしろい手は年頃の女の子としてはかたく、、苦労を思うと胸が痛んだ。
「あの、衛士さま……」
 手に全神経を傾けていたのだが、マリーベルの声に顔を上げる。ほんのりと頬を赤らめ、少し困惑した様子で男に視線を向けていた。
「あ……す、すまない」
 握ったままだった手を離し、頭を掻いた。

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あとがき的なアレ
「乱暴にしないでください」のひとことからすべてが始まりました。

腕輪は円環じゃなくて鎖ですけども。まああの…輪っこ的な雰囲気でひとつ。