Charme



「きみの[兄や]は喜ぶよ。きっと……ううん、絶対」
 そんな言葉に、何度泣きを見てきたことか。
 しかし、ナサナエルにはこの異母兄を無碍にすることはもう出来なかった。
 なにを考えているのかわからなくて少々苦手なのは変わらないが、間違いなく──恩人、なのだから。
 毒使いとして仕込まれていたナサナエルが生死の境をさまよっていたとき、兄やを探し出し、連れてきてくれた。更には看病まで。聞いた話では、薬湯の配合にまで指示を出したという。
 回復後、毒使いとしては適性が不十分との判断が下され、屋敷で飼い殺しのような状態だったナサナエルに、フランチェスコはしきりと話しかけてきた。
 ナサナエルのことを訊ねたり。
 フランチェスコのことを語ったり。
 兄やに対する興味を見せたり。
 歌をうたったり。その歌をナサナエルに教えようとしたり。
 見つかる度に使用人には窘められるのだが、フランチェスコはそんなことを気にする素振りなど全く見せなかった。それどころか。
「えー、でもさあ、父上が亡くなって、ぼくにもなにかあったら、ナサナエルがこの家を継ぐかもしれないんだよ? いいの? たかが庶子だってだけでそんな事言って」
 言外に、身分で言うならば間違いなくラーゲンの血を引いているナサナエルより、使用人のおまえたちの方がずっと低いのだ、と匂わせる。
 滅多なことを仰らないで下さいと口にしつつも、それを言われてしまっては返す言葉がない。母とてアディン地方伯の妹なのだ。どういう状態であっても、それは確かな事実だ。
 やがて、ナサナエル自身の気後れも含めたほんのりとした居心地の悪さは残りつつも、屋敷で正面切ってナサナエルを庶子と謗る者はいなくなった。

 ***

 手首を掴まれ、鼻歌交じりに颯爽と歩くフランチェスコの後におどおどと続く。
「ねえ、もっと背筋伸ばして歩けないの? そんなんだから笑われるんだよ。悪いことをしてる訳じゃないんだし、堂々としなよ」
 小さな身体をもっと縮め、きょろきょろと周囲を見回しながら歩みに従うナサナエルに、フランチェスコは焦れたような言葉をかける。
「で、でも、こっちには入っちゃいけないって……」
「ぼくがいいって言ってるんだからいいの! ほら、しっかり前見て歩いて」
 躓きかけたナサナエルの手を引き、フランチェスコは更に薄暗い廊下を先へ先へと進んだ。突き当たりの部屋の鍵を開けると、ナサナエルをそこに招き入れた。
「きみの[兄や]に会わせてあげるよ」
「えっ……」
 俯きがちだった顔を上げる。フランチェスコと視線が絡む。美しい金髪の異母兄はにっこりと笑んで続けた。
「父上がまだ実験に使っていたみたいだったけど、こんどこそ今日でお役ごめんだから。手引きはしておいたから、ここで待っていなよ」
「あ……」
 突発的な行動の多い異母兄の、今度もきっと何らかの悪戯だろうと思っていた。好意を素直に受け取れなかった自分が少し恥ずかしく思えた。
「あ、ありがとう」
 はにかむようなナサナエルの言葉に、フランチェスコは相好を崩した。
「あ、そうだ、ナサナエル。いいこと教えてあげる」
 問い返す間もなかった。
 頬を両手で挟まれ、唇にちゅ、と口付けを落とされた。触れるだけの口付けを何度か繰り返されてから、唇を割るように舌先を滑り込まされた。
「ふ……」
 抵抗しよう間もなかったこの行為に、ナサナエルはただ目を瞠るのみだった。挿入された舌先が歯列を、歯茎をぬるりと撫でる感触が、気持ちいいような悪いような、妙な感覚だった。

「……こうしたら、きみの[兄や]は喜ぶよ。きっと……ううん、絶対」
「えっ、でも、だって、今の……」
 頬が熱くなるのを感じた。
 好きあっている男女がするらしい、ということは知識として知っている。
 ふふ、と目を細めた異母兄は、いまも天使のような笑みを浮かべている。
「嘘じゃないよ」

 ***

 フランチェスコの計画通り、兄やはその部屋の、ひとつだけ錠をおろしていなかった窓から進入してきた。
 ナサナエルの前に跪こうとする男をまずは座らせ、膝に乗る。子供じみた行為だとはわかっていたが、5歳の時からのその定位置が落ち着くのだ。兄やも優しく、ほかに甘えられる相手のいないナサナエルの黒く艶のある髪を撫でてくれた。
 以前のように全く会えないという訳ではなかったが、何せ人格を無視された実験台には、まともに休みもあるはずがなかった。
 の、だが。
「ナサナエル様。明日より私は、ナサナエル様の護衛として仕えさせていただくことが決定いたしました」
「え、それって……」
 ずっと一緒にいられるってこと? という問いかけに、男は微笑んで頷いた。
「はい、そうお許しをいただきましたので」
 嬉しくなって、ぎゅう、と兄やの服を掴んで胸に顔を埋めると、服越しに体温と鼓動が感じられた。
 この嬉しさを伝えたくて。共有したくて。
 先ほど異母兄にされたことを、兄やにした。どうにも恥ずかしかったので、きつく目を閉じて。

 唇をはなし、おそるおそる目を開ける。
「ど……どう? 嬉しい?」
 硬直している兄やに、ナサナエルは不安でいっぱいになりながら問いかけた。

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あとがき的なアレ
昨日書こうと思ってたフラナサエイプリルフールネタでした。
でもナサナエルにちゅーされたらきっと兄やは嬉しいので嘘じゃないですよね(真剣なまなざし)