ずれと整合



「鉄柵に打たれ生き延びた強運なら、命の方は助かるだろう」
 使者の言葉に応じ、鴉をたばねる男が小瓶を取りだした。彼らの口振りを鑑みるに、ヘクトル殺害に使われたという薬で間違いないだろう。リンナはそう結論づけ、ある覚悟を決めた。この身があちらにとって都合のよいあやつり人形になり、ベルカを脅かす存在になるのならば、命を絶った方がマシだ。
 しかし。
 僅かに開いた口の隙間から突き込まれた剣の柄に、口腔内を蹂躙される。ベルカ、そしてミュスカとの約束を違える覚悟までしたが、舌を噛むことさえできない。
 目の前で傾けられた小瓶の中身が、押し込まれた柄を伝って口の中に入る。それはわずかな量ながらもその先端に達し、甘苦いような風味が舌を灼く。それが喉の奥へと落ちる感覚に、リンナの意識は次第に絶望に染めあげられていった。
 使者の言葉、ベルカはリンナの救出よりも、蜂起した民を止めることを優先した、という言葉が、唯一希望の光に思えた。
 ──願わくば、ヘクトルのように薬が合わず逝けるように。この身がベルカの枷とならぬように。
 そのとき、何かが割れるような音が響きわたり、扉の外が騒がしくなった。
 次の瞬間尼僧が数人、アモンテールの襲撃があった、と駆け込んできた。ならば食料庫は解放されたのかと、むしろ安堵を覚える。ホクレアならば、尼僧を無意味に手に掛けるようなことはないだろう。
「衛士さま…お助けくださいまし!」
 こちらに駆けてきた尼僧の声に、やけに聞き覚えがあるような気がした。
 もしや、いやまさか。
「なんだ……邪魔だ、どけっ!!」
「邪魔なのはテメーだよ!」
 修道服の裾を大きく翻した回し蹴りで、制服の衛士を沈めたのは。
「マリーベルさ…いえ…殿下! なぜ……」
 蜂起した民を止めるために発った、と、今さっき聞かされたばかりだ。
「…バカなこと聞くんじゃねえ」
 リンナを柱に縛り付けている縄を切り、使者たちとリンナとの間に立ちはだかるようにしていた[マリーベル]が、ちらりと振り向き柔らかい笑みを見せた。
「迎えに来たに決まってんだろ!!!」
 そう言い放つと[マリーベル]はリンナの手を取り、その腕を自分の首に回した。
「脱出するぞ!」
「そ、その、殿下。私は……自分で歩けます」
 もう周囲を欺く必要はない。慌てた様子で言い募ったリンナに、笑みを向けた。
「いいからつかまってろって。[マリーベル]に抱き付けるチャンスなんてもうねーかもしれねーぞ! 手持ち無沙汰だって言うならこれでも持ってろ」
 差し出されたのは、先ほどリンナのいましめを解くのにも使った小剣。頷きそれを受け取った。
「──はい!」
 そのとき不意に上から投げ込まれたのは、いつか立太子式の折、ホクレアが襲撃をかける際に使用していたものに近い、足をかけるだけの場所がかろうじてあるだけの縄──最大限良く言えば、一人乗りのリフトだ。
 そこに足をかけ、しっかりと縄を掴む。
 リンナも、[マリーベル]を抱き込むような体勢でそれに捕まった。
 口笛を吹くと、一気に引き上げられる。突き出される槍の穂先を、先ほど受け取った小剣で捌く。2撃、3撃とそれをいなす。そこに飛んできたのは弩の矢だった。
「ッ……!」
 カン、と音を立て辛うじて弾きとばしたものの、連続して射られればさすがに防ぎようもない。
 そのとき、下から怒声が響いた。
「落ち着け! 尼僧の方はベルカ王子だ、傷つけるな! 縄を狙え!」
 その声に、見上げる衛士たちのなかにざわめきが広がった。
「──って、気づいてなかったのかよ!」
「……大変愛らしいお姿でいらっしゃいますので、無理もありません……」
 そう呟いたリンナの目は、どこか遠くを見ているようだった。
 射落とされる危機は脱したものの、依然ピンチなのにはかわらない。構えられた弩で、ふたりのさらに上の方を狙われる。
 ちっ、と舌を打った。
「揺らすぞ! 堪えてくれ!」
 上にそう叫ぶと、先ほどまでリンナが縛り付けられていた柱を蹴った。
 ぎり、と縄が音を立て、大きく揺れる。放たれた弩の矢が数本、石柱に弾かれて落ちた。

 ***

 どうにか修道院を脱出し、リンナと[マリーベル]は合流地点を目指して森を歩いていた。
 本来は厩舎の馬を奪う予定だったのだが、リンナの傷が多少の歩行に差し障りのない程度には癒えているということで、あえて危険を冒し、既に手の回っているそちらに向かうよりも……と、この選択になったのだ。
 だが。
「殿下……申し訳ありません。少し……お待ちいただけますか……」
 浅い呼吸を繰り返していたリンナが膝を折った。
「リンナ!」
 はっとした様子で[マリーベル]が振り向く。
「悪い、傷は完治はしてねーんだったよな」
 多少の歩行に支障がなくても、疲労が蓄積してくればまた違うだろう。逸る心のままに早足で歩いてきてしまったことに僅かな悔恨を覚え、へたり込んだリンナの元へと駆け寄った。
「いえ……傷が痛むのではないのですが……実は……」

 リンナの口から飛び出した言葉はに、[マリーベル]は息を呑んだ。ラーゲンの薬を、ヘクトルを殺したあの薬を、飲まされた……と。その内容を信じたくなくて、頭の中で何度も再生を繰り返す。
「柄伝いですので、量としてはそう多くはないと思うのですが……」
 だが、その効果と思しきものをリンナははっきりと感じていた。身の内で、自分ではない何かが灼けているような感覚をおぼえていた。
 これが薬の効果だというのならば、もしかしたら自分には合ってしまっているのかもしれない。
 怖ろしい想像を振り払おうとするが、それはそう簡単には消えなかった。
「身体が……熱く、痺れて、もう……。かくなる上は……」
 一呼吸おき、あまりに身勝手とも思える願いを口にした。
「私を……殺してはくださいませんか」
「ッ……!」
 ショックを受け表情をこわばらせた[マリーベル]が、リンナの肩を掴んだ。
「何言ってんだよ…しっかりしろ!」
 努めて深く、ゆっくりしたものになるよう呼吸を整える。
「私の……形をした人形となり、殿下の行く先の生涯となるなら、いっそ……!」
「そんなの…許さない!」
 間髪を入れず[マリーベル]が首を振る。リンナは胸に手を当てて懇願した。
「どうか……どうか、[もの]ではなく……私が、[私]でいられるうちに……」
「ダメだ!」
 しかし[マリーベル]はその言葉を受け入れようとはしなかった。膝を付いたままのリンナの頭を、かかえこむようにぎゅうと抱きしめる。
「大病禍にだって……治療法があったんだ。おまえが飲んだ薬がどんなものだったとしても、きっと手だてがあるはずだ!」
 腕に込めた力を緩め、指で髪を梳き、食料庫の前で切りつけられた際に刃が掠めた頬に口接けた。まだ新しい傷がその刺激にぴりっと痛み、リンナの鼓動が跳ねた。
「っふ……」
 吐息とともに僅かに漏れた声があまりに熱を帯び艶めいたものとして耳に届き、自身で驚き頬を染める。
「ッ……申し訳っ……」
 そのようなつもりで触れたのではなかろうにと思うと、自身の反応が余りに浅ましいものに思えた。だが、[マリーベル]は緩く首を振った。
「嬉しー……リンナ」
 柔らかい笑みとともにそっと重ねられた唇。その隙間から差し入れられた舌は、先ほど強引に突き込まれた剣の柄とは比べようもなく優しく、リンナの口腔内を辿った。
 焦がれ続けた末の久しぶりの再会だからだろうか。それとも、生命の危機に瀕した身体のたかぶりが収まらぬせいだろうか。その刺激ひとつとっても、リンナの身の内に点った炎が激しく暴れ回るかのようだった。
「……は、殿、下……」
 離れる唇を名残惜しく思い、いつしか大樹に身をもたせかけるような姿勢になっていた身を僅かに起こす。
 その顔のすぐ横に手を突かれ、袖が頬を掠める。ほんのりとシトロンの香りが鼻腔をくすぐった。
「こんな所、は……嫌か?」
 囁きかけられ首を振る。ちゅ、とまた頬に口接けられる。
「おまえが、欲しくて欲しくて……たまらねーんだ」
 先ほどから早鐘を打っている鼓動がひときわ強く跳ねた。これ以上の刺激を与えたら止まってしまうのではないだろうか、そんな心配がよぎるほどに。
 自ら「殺してくれ」などと言った人間の心配することではない。妙におかしく、むしろ気分が高まった。

「動くのが辛れーなら、おまえはじっとしていればいーから」
 [マリーベル]がリンナの下衣の腰紐を解き、下着の中から同じ欲望を抱いていると示すものを掴み出した。それを握ったまま幾度も口接ける。そのたびに手の中でぴくりぴくりと脈動した。
「でけーよな……すぐにでも欲しーのに、準備しねーと絶対入んねえ」
 リンナのものをしばし見つめ、そう呟くとしばらくそいういう事のためには使っていなかった場所を探る。
 リンナ以外と行為に至ったことはない。つまりあの晩城で肌を重ねたのが最後ということになる。もとより慣れていたわけではなく、多少の痛みは仕方ない。
 考えないようにしても、手だてを探すとは言っても、どうしても消えてはくれないおそれ。
 もしも、もしも。薬が効いてしまったら。命が助かっても、リンナが[リンナ]でいられなくなるとしたら。
 リンナが[リンナ]でいられるうちに。
 もういちど。この身体にリンナを刻みつけて欲しかった。

 頬を染め眉を寄せ、修道服のスカートの中に手を差し入れ、その中を弄る[マリーベル]の姿は、きっとリンナでなくても感じるものがあるだろう。
 そっと手を伸ばしその頬に触れると、[マリーベル]の唇が頬、そして唇に触れた。
「っは……リンナ、またおまえとこうして触れあえるって思うと……たまんねー……」
 身を更に屈めて先ほどから外気に晒されるままになっていたリンナのものに口接けた。
「で、殿下……!」
 慌てた様子のリンナに笑みを見せ、先端を口に含む。
「お、おやめ、ください……そのっ、ような……うぁっ……」
 リンナの制止の言葉に応えようと、ちゅ、と吸い一旦を離した。
「おまえだって前に俺のをこうしてくれただろ。それに、ちゃんと濡らしておかねーと……しばらくシてねーから痛いだろうし」
 舌先で、リンナに見せつけるようについと舐めあげる。脈打つそれの先端を愛しげに指の腹で撫でて言った。
「止めようとはするけど…、おまえもすげえ興奮してるし、まあいいだろ」
 胸中を見透かされ言葉に詰まる様子のリンナに悪戯っぽく笑いかけ、再び口に含んだ。
「ふ…ぅ……っ、ぁ……」
 抑えきれずリンナの唇から漏れる声が、余計に[マリーベル]のたかぶりを助長する。
「そんな風に、ガマン……すんなよ……」
 ちゅぱ、と音を立てて唇を離すと、スカートをまくりあげ、リンナの膝の上に乗りあげた。染まった頬をリンナの頬に擦り寄せ、囁いた。
 耳朶にかかる吐息が、抱いている欲望を示すように熱い。
 その吐息よりも熱い秘所がリンナの熱の先端に触れる。
「んぅ…くっ…ぁ……」
 [マリーベル]がゆっくりと息を吐き出しながら腰を落とし少しずつ飲み込んでいく。
「あっ……殿、下……」
 きゅうと胸を締め付ける思いに、たまらずかき抱き口接けた。驚いた様子の[マリーベル]だったが、リンナのくちづけに応えて舌を絡める。その吐息も水音も、森の呼吸にとかされ消えてゆく。二カ所で身を繋げ、互いの熱で互いを溶かしてしまうのではないかとすら思えた。それでも足りぬと言わんばかりに、手の指を絡めた。
 夢中になって唇を貪りながら樹に縫い止められたような状態のリンナの上で腰を揺らしていると、くわえ込んでいるのは[マリーベル]の姿をしたベルカの方であるのに、まるでリンナを襲っているかのような気分になり、妙に高揚を覚えた。
「ふ、はっ……、なあ、リンナ……」
 離した唇を耳に寄せ、吐息と一緒に言葉を注ぎ込む。
「今は……こ、して、おまえに抱かれてる……けど」
 すげえ、おまえを抱いてみてえって思う。
 その言葉にまたひとつ、鼓動が跳ねる。
「ぅ、あ……」
 びく、と[マリーベル]が背を反らす。
「な、おまえ……まだデカくなんのかよ、信っじらんね……」
 荒く息を付く[マリーベル]に、謝罪の言葉を口にしかけると、唇の前に指を1本立てられた。
「い、から……。今は、もっとおまえを感じてーんだ。奥まで……はいって、こいよ……」
 絡めていた指も解き、リンナの首に腕を回して強請るように腰を揺らす。リンナもそれに応え、[マリーベル]の腰を支えて揺さぶった。
「ふぁ、あ。あ、ぁ……」
「殿下……わたし、も……」
 互いに限界が近いことを感じて息を継ぎ、タイミングを合わせようとする。
「わたしの…身にも、殿下を……刻みつけて、くだ、さ……!」

 ***

 果てた後も互いから離れがたく身を寄せ合っていたが、遠く響く指笛の音に[マリーベル]ははっとした表情を浮かべた。
「どうなさいました?」
 自身も指笛で短く応え、合図をする。『大丈夫 もう少し待ってくれ』
 短く1回、了承の音が聞こえたのに安堵し、首を傾げるリンナに仲間の合図だと端的に説明した。
「やべ…じきにみんなこっち来ちまうのに、こん、な」
 深い快楽を得て気怠い体をゆっくり離すと、ずる、とリンナのものが抜け落ちた。
「つい夢中になっちまったけど、大丈夫か?」
 気遣わしげな[マリーベル]の視線に自顧する。そういえば僅かながらも薬を飲まされてからしばらくの間、身の内にあった嫌な熱さが消えていることに気が付いた。
 それを[マリーベル]に告げると、[マリーベル]は春の日差しのような柔らかく温かな笑みを浮かべ、リンナを抱きしめた。
「……な? 死んだりしなくてよかっただろ!」
「──はい! もうそのような考えを持つことは致しません。ありがとうございます、殿下!」


 口に含まされたのが『あの薬』ではなく、ただの一種の媚薬のようなもの、であったことをふたりが知るのは、もう少し先のことだった。
 鴉にとっては、使者よりもキリコの『客人として扱い、無事に連れ帰れ』という命令の方が重要であったが、使者の言うことを無碍にする訳にもかなかった。使者を納得させられるだけのパフォーマンスが必要だったのだ。
 もしも肌を合わせる前にその事実を知っていたとしたら、リンナはおそらくその熱を拒んだだろう。
 その事実、知らなかったこと。図らずも燃え上がらせるひとつの原因となっていたのだった。

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あとがき的なアレ
36話の燃料っぷりといったら…。
というわけでリンマリリンヘッツェンです!
ほんとにあの薬はお人形の薬なのかなーと思いまして。
ラスト数行的な事を考えてこのようなアレにたどり着きました。
ちなみに、飲まされてから黒リンという分岐ルートもあります(わたしの脳内に)