ずれを重ねる



「鉄柵に打たれ生き延びた強運なら、命の方は助かるだろう」
 使者の言葉に応じ、鴉をたばねる男が小瓶を取りだした。彼らの口振りを鑑みるに、ヘクトル殺害に使われたという薬で間違いないだろう。リンナはそう結論づけ、ある覚悟を決めた。この身があちらにとって都合のよいあやつり人形になり、ベルカを脅かす存在になるのならば、命を絶った方がマシだ。
 しかし。
 僅かに開いた口の隙間から突き込まれた剣の柄に、口腔内を蹂躙される。ベルカ、そしてミュスカとの約束を違える覚悟までしたが、舌を噛むことさえできない。
 目の前で傾けられた小瓶の中身が、押し込まれた柄を伝って口の中に入る。それはわずかな量ながらもその先端に達し、甘苦いような風味が舌を灼く。それが喉の奥へと落ちる感覚に、リンナの意識は次第に絶望に染めあげられていった。
 使者の言葉、ベルカはリンナの救出よりも、蜂起した民を止めることを優先した、という言葉が、唯一希望の光に思えた。
 ──願わくば、ヘクトルのように薬が合わず逝けるように。この身がベルカの枷とならぬように。
 しかしリンナのそんな願いも空しく、身体の違和はすぐにやってきた。内より灼かれるような感覚。
 じわりと全身に汗が滲む。
 その頃になってようやく、口腔が剣の柄から解放され、しかし猿轡で再びいましめられる。


「黒」
 呼ばわれ進み出た鴉隊のひとり、黒がそれをたばねる男になにがしかを密やかに告げられ、頷くのがリンナの視界の端に入っていた。
 リンナの前で膝を付く、その視線は以前見た熱を帯びたものとは違い、彼が紛れもなく暗殺部隊の一員であることを彷彿とさせられた。
 が、その黒に頬をすう、と撫でられた。
「……っ!」
 猿轡があり阻まれたが、そうでなければ妙な声がでてしまっていただろう。そんな確信があり冷や汗が伝う。
「適合、したようです」
 静かに紡がれた、鴉をたばねる男の言葉。それがリンナに追い打ちをかけた。使者が興味深げに唇を歪める。
「……ですが、頭の中身を壊し、組み替えるには微妙な調整が必要です。まずはオルハルディを安静にさせ、少しずつ調整の薬を与える必要があります。……ただ壊すだけでしたら容易にできましょうが、キリコ様にこの男を利用しようとするご意志があるのなら、ただ徒に壊し、連れ帰ったところで意味がありましょうか。ここは、意志と刃向かう力を削ぎ大人しくさせる程度に留めるのがよろしいかと存じます」
 先ほどは頭に血が上った様子だった使者も納得したらしく頷いた。
「ふむ……それも一理あるな。二度とキリコ様に楯突こうなどと思わぬようにしてやればそれで構わぬ」
 鴉をたばねる男の表情の読みにくい面相に、僅かに安堵の色が浮かんだことに気付くだけの余裕がリンナには無かった。
 薬を飲まされてしまった事実、適合してしまったという言葉、そして身の内の変調のことで頭が一杯だった。

「オルハルディ殿を部屋へ。大人しくするようならば縄はある程度はずしてしまっても構わん。キリコ様のお言葉通り、客人として……。ただし、見張れ」
 今度は逃げられるような事態にはならないと言外に匂わせ、黒に指示を出す。
「はい、先生」
 黒が頷き、リンナを柱に縛り付けていた縄を切った。
「歩けるか? オルハルディさん」
 立ち上がったものの、腰から下が熱く痺れ、脚にろくに力が入らず、その場に再び膝を付く。その衝撃すらも甘やかなものであるように錯覚する。痺れは更に上へと、くすぶって拡大していくようだった。
 黒に支えられ、いや殆ど背負われるような体勢で、よろよろと先ほどまでとらえられていた部屋に向かう、もしくは運ばれる。
 注意深くベッドに腰掛けさせられ、僅かに息を付いた。
「舌を……噛んだりしないと、約束してくれるならそれも取れるけれど」
 リンナは黙り込んだままだった。とはいえ、猿轡を噛まされたままなので、言葉を口にする事は出来ないのだが。
「俺としては……」
 至近に顔を近づけ、舌先、そして唇で頬の傷口に触れる。まだ新鮮なそこに、ぴりっと痛みが走った。
「そんなもの……無い方がいいけれど。あなたに舌を噛むつもりがないなら……俺としては、それを外したい」
 応えずにいると、黒の手がボタンを三つ外したままのシャツの袷に伸びてきた。
 びく、と、身が震えた。
 素肌をつと辿られた、その感触が、あまりにも。
「オルハルディさん……」
 名を口にする黒の目からは、先ほど広間で見せた鋭さ、冷たさはなりを潜めていた。
 そこに浮かんでいるのは、熱っぽい情動。この修道院の前でこの黒と赤ふたりにされたことを思いだし、背筋を冷たいものが走った。
「大丈夫、酷いことはしないから」
 身を蝕む痺れはいや増し、先ほどの端座位の体勢から、容易にベッドに縫い止められてしまった。身を捩っても思うように動けない。そして黒は動作を止めようとはしなかった。身をのし掛からせ首筋に腕を回し、刹那、目を伏せた。
「オルハルディさん、俺……好きなんだ、あなたの事が──」
 その言葉に耳を疑った。
 何がどうなったらそうなるのか。リンナにはまったく意味がわからなかった。
 リンナの身に、記憶に、刻み込まれているのは、雨が降りしきる中黒と赤に辱められたという事実のみであり、またそれ以前の鴉隊との接触においても、そんな風に想いを寄せられるような出来事があったとは、到底思えなかった。
 だが、そんなリンナの思考とは裏腹に、確かに黒の手つきは酷く優しいものだった。恋人に触れるかのように、熱を煽るかのように。
 耳朶に唇で触れられ、きつく目を閉じて振り払うように首を振る。
「薬……効いてるでしょう? 楽にしてあげる」
 そう言う黒が次に触れた場所、は。
「ッ……!」
 リンナの身を蝕む痺れ、そして熱の中心ともいえる場所を撫で上げられ、あまりのその刺激の強さに、期せずして身体が跳ねた。その痺れが、快楽の余韻であるかのように後を引いて残る。
「ごめん……少し、性急すぎたな。もっと優しくするから……」
 そういう問題ではない。リンナが首を横に振ると、黒にそっと髪をかきあげられ、視線を合わされた。
「オルハルディさん……」
 シャツのボタンをさらにひとつふたつと外す。差し入れられた手は熱く、熱を帯びている素肌に触れられてなお温度を感じるほどだった。
「ちゃんと……ベッドであなたを抱くのは初めてだ。気持ちよく……なってもらえるかな」
 初めてもなにも、何度もあってはたまらない。
 黒にとってはそうでないようだが。

 *

「あなたは、ベルカ王子のためと思う事であれば……、行動に迷いがない……」
 つ、と胸の突起を舌先でつつかれ、息を詰まらせる。今ならば体重はほぼかかっていない。それに気付き、せめてもの抵抗をと身を捩りベッドにうつ伏せた。
 黒はリンナの広い背に身体を密着させ、肩に腕を回した。耳朶に唇を寄せ、囁く。
「でも、ベルカ王子は……あなたよりも民を取った」
 頷く。それはリンナにとっての希みでもあった。
「あなたも……ベルカ王子の事など忘れてしまえばいい」
 それは『薬』の効果のことを指しているのだろうか。首を振る。
「ベルカ王子は……、あなたが『あなた』じゃなくなったら……あなたを捨てるだろうか」
 切り捨てて、欲しい。というのが正味の気持ちだった。
 この身がベルカの志の枷となるならば、捨ててしまった方がマシだ。そう思ったからこそ、薬を飲まされかけた際に舌を噛み切ろうとしたのだ。
「俺は、あなたが……『あなた』であっても、『あなた』でなくても……この気持ちには変わらない」
 そうして籠絡しようとしても無駄だ。首を振って意思表示をする。するりとシャツの裾から手が滑り込み、腰から背筋を撫で上げた。
「っう……く」
 意志に反し、腰が跳ねる。
「だってあなたは『あなた』じゃないと思っても……あなただ。簡単に割り切れるものじゃない……捨てられやしない。俺がベルカ王子なら……間違いなく、助けに来る」
 なぜだろう。
 ──その、言葉に、気持ちが揺らぎかけたのは。
 リンナ自身の救出よりも民を止める方を選んだことを嬉しく思ったはずなのに、胸が締め付けられる気がしたのは。
「……ねえ、オルハルディさん」
 一瞬、何が起きたのかを把握できなかった。リンナの跳ねた腰を支えてふわりと力を入れ、膝を立てた黒が、ぎこちない手つきで下衣の紐を解く。それを下着ごと膝まで落とす。
「ごめん、やっぱり俺……そろそろ限界……」
 双丘の間に押しつけられたものの先端は潤みきっており、ぬるぬるとした感触が更に熱を煽る。
「ん……ぅ、ッ……!」
 薬の副作用か、何故だか随分と敏感に蕩かされた身、そこは探る指を容易に飲み込み、黒の灼熱の侵入を許すまでにはそう時間はかからなかった。

 *

 行為の余韻がいつまでも後を引く。
 リンナは先ほど、黒の言葉にほんの一瞬でも揺らいでしまったことを悔いていた。追いつめられているとはいえ、
 猿轡が阻み、溜息すらもつけない。
 『薬』には調整が必要だと言っていた。このまま黒の手により辱められ続け、いつしか薬により意識が変容させられていくのかと思うと──ただ、ひたすらに、怖ろしかった。
 それとも。
 調整が必要というのは、ある程度継続的に使用しなければ効果はあまり無いという事だろうか。もしそうであるならば……まだ、諦めてしまうには早いのかもしれない。
 眉を寄せ考え込むリンナに、黒が声をかけた。
「オルハルディさん……すごく、気持ちよさそうだったよ。嬉しい……」
 カッと頬に熱が集まるのを感じながらも、リンナは首を横に振った。
「今回は……、薬の効果もあったけど……。そのうち、媚薬なんて無くても満足してもらえるように……俺、頑張るから」
 ──媚薬。
 今、媚薬、と言っただろうか。
 聞き咎めて黒の手を引く。意志は伝わったようで、はっきりした回答があった。
「ああ……あなたを無事に連れ帰る事が、最重要……つまり、先生が機転を利かせたんだ」
 先生というのは、鴉をたばねる男の事だろう。
 曰く、使者の言うとおり与えれば死ぬかもしれない薬を使用するわけにはいかず、かといって蔑ろにする事も出来ない。
 手元にある何かを使わなければならず、かつ、ある程度目に見えた効果が必要だ。
 その結果が、速効性の媚薬であったという事だった。
 改めて、黒が口にした。
「あなたに舌を噛むつもりがないなら……俺としては、それを外したい」

 まだ、希望は潰えた訳ではないのだ。黒に口づけられながら、リンナはふたたび光を見出した。

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あとがき的なアレ
先日のリンマリリンの黒リンルートです!
雛鳥からの流れを汲み、しもんちゃんに発見されていないので
マリーベルさんはここにはいらっしゃいません、が
先生の機転はそのままに、黒に任せる方向のこう。