僥倖



 ささやかなパーティーを終え、部屋に戻る。
 何せ同じ性別、正式に婚儀を挙げることはできない。その上ベルカは王子なのだ。万が一、オルセリートに世継ぎが産まれなかった場合、ベルカの子が望まれるような事態に、ならないとは言い切れない。
 だから正式に結婚などというのは望むべくもないのだが、ベルカがリンナにプロポーズをしたということで、祝福のためのちょっとした会を開こう、という運びとなった。
 こんな時に、という思いはあったのだが、暗いニュースばかりの中、その話題は人々の心に灯をともすこともになった。
 葬送ではなく祝福の鐘が鳴らされ、歌が風に乗る。
 会の趣旨について委細は知らずとも、敵方の手に掛かりそうだった忠臣を救った君主、であるベルカにささやかな供物を携える民もあった。
「みんなでキミたちを祝福しているみたいだ」
 ベルカは照れた様子だったが、満更でもなさそうだった。
 じき宵闇が深くなり、散会となった。
「ああそうそう、明日は昼過ぎに出発するから。ゆっくり朝寝坊するといいよ」
 でもあんまり無茶させたらダメだよオルハルディ、と釘を刺される。
 一瞬、言葉の意味をはかりかねたベルカだったが、リンナの頬に朱の走ったのを見てようやく事態を把握した。勿論正式なものではないが、今日自分たちはいわば挙式したのだ。つまり、今夜は。
「初夜、ってことになるのか、おまえと」
 口に出すとその実感が湧いてきた。顔に血が集まるのが感じられる。
「お嫌、でしょうか……?」
 ベルカの様子が変わったのを見て取り、リンナの視線がが気遣わしげなものになる。しかし。
「バカ……嫌なワケ、ねーだろ」
 それは心からの言葉だった。
 不安はある。大いにある。リンナと抱き合ったこともくちづけを交わしたことも、その腕の中で眠ったことも--ある。だが、肌を合わせた事は未だかつて無かった。
 リンナはきっと間違いなく優しくしてくれるだろう。それでも行為自体へのおそれはあったし、もうひとつ。女装をしていればパッと見には女性と見紛うばかりだったとしても、その中身はそうはいかない。服の上からであれば何度も抱きしめられている。だが、素肌を触れ合わせ抱きしめられることを考えると、成長途中ではあるがそれなりに筋肉がつき、筋張った身体は抱き心地が良いとは言えないだろう。
 それでも良いと、構わないと、直接訊けばリンナはきっとそう言うだろう。けれども、本心ではどうだろうか。
 時折、自分が[ベルカ]ではなくて、本当に[マリーベル]であったならば……などという想像をしてしまう程度には、それが引け目になっていた。
 けれど。
 それでも、だからリンナを自身から解放しよう……などとは、もう思えなかった。
 リンナがどこかの町娘と結婚する。家庭を築く。その腕で誰かを抱き締める。そんなこと、考えたくもなかった。
 だからリンナを言葉で想いで縛った。リンナがそれらに抗えないと、わかっていて縛り付けた。卑怯なやり方だとは思うこともあったが、これだけは譲れなかった。たったひとつその目的のためなら、どんな手段でも使うしかない。
 そうして手中にしたリンナだったが、自分がどれだけリンナを好きか、意識する毎に不安が膨れ上がっていった。
 リンナにとって、本当にこれが最良だと思ってもらえているか?
 リンナの身を、理性を拘束することが出来ても、心までは縛ることは出来ない。
 けれど、そう思って欲しい。ベルカと一緒にいることが幸せだと思ってもらえるなら、それはどれだけ嬉しいことだろう。


 思いに沈むベルカを、リンナはそっと抱き寄せた。
 かつては自分の主君にこのような狼藉をしてもよいものか、と、散々に逡巡してからでなければ出来なかった行為だが、今では自然に行動に移せる。
 あの日、修道院での再会。ずっと会いたかった相手が、あまりに良すぎるタイミングで現れた。またこれもやさしい夢なのではないかと、何度も反芻した。しかしそれが確かな現実で、そして同時に想いが一方的なものではないと知らされ、リンナは深い深い喜びを得た。
 自分がベルカを想う半分、いや十分の一でもベルカがリンナを想ってくれるならば、それはどんなに嬉しいことだろう、と。
 ベルカの指がリンナのシャツをそっと掴む。胸に頬を寄せられる感触が、くすぐったいような心地よいような、それでいて緊張するような妙な気分を生む。
「殿下……」
 再三の呼びかけに、ベルカは腕の中で微かに頷いた。
「あ、俺、風呂……入ってくるな」
 そうして腕の中から抜け出ようとするベルカを留めるように、ほんの少し力を込めた。
「お供いたします」
「なっ……!?」
 動揺を示すベルカが可愛らしく思え、言葉を続けた。
「今宵はこの別邸には召使いの一人もおりません。その……これはエーコ殿のお膳立てなのですけれども……」
 湯は沸かし、召し換えの夜着は湯殿に用意してあるが、それだけ、のはずだ。襲撃に備え小さな館の周囲には兵が配備されているが、中にはふたりきり、だ。
「……これからは、殿下の身の回りのお世話は基本的に私にお任せ戴くことにもなりますし、いい機会だからと」
 カミーノで『王子』然と振る舞う必要があった際には、コールが着替えの手伝いなどをしていたということだった。それがリンナに引き継がれる、ということだ。王子付きの従者の正式な仕事として。
「殿下がおひとりでも身の回りの事を出来るということを……、存じ上げては、おりますが」
 自分で出来ることをひとにさせる事に抵抗感を持っていることは知っている。その『王子』らしくないところも確かにベルカの魅力ではあるのだが、格好は付かない。それにリンナとしてはむしろ、ベルカのために働けることが嬉しかった。
「では、参りましょうか」
 声をかけ、ベルカの身を抱き上げる。
「ちょ、リンナおまえ、怪我は」
 焦った声を挙げるベルカに微笑んで見せた。
「大事ありません。殿下にご協力いただければ、の話ですが」
「なんだ!」
 早くしろと言わんばかりの勢いで問う、その様子にいっそう思いを募らせる。
「殿下、私の首に腕を回しておつかまりいただけますか?」
 言葉に従ったベルカを間違っても落っことしたりする事の無いように、注意深く湯殿へ向かった。


 半刻ほど後、湯で身を清めたリンナが、先ほど同様にベルカを抱いて寝室に戻った。
 ベッドの上に腰掛けさせるのではなく、自分がベッドに掛け、その膝の上にベルカを乗せて再度抱きしめた。
「……私はあなたと出会ってから、天に感謝することばかりです」
 もし庶民にもステラ・マリスを身につけることが許されていたならば、それを握って感謝の祈りを捧げただろう。
 届かぬと思いながら星に向かい伸ばさずにいられなかった手。その先で星に触れられた、あまつさえその『星』の方から伸べた手を握って貰えた、などと。身に余る行幸以外の何であろうか。
「その……ご無理だけは、なさらないでください」
 落ち着かない様子のベルカの背をあやすように撫で、そっとくちづける。深いものではなく、触れるだけのキスをいくつもいくつも落とす。やがて意を決したように、ベルカがリンナの夜着を掴む手に力が入った。
「リンナ……俺、やっぱり、おまえと居てーし、お前が欲しー……」
 小声で紡がれた言葉に、リンナはその身を抱きしめることを以て応えた。

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あとがき的なアレ
なんとか合同誌の原稿を終え、これから個人誌の原稿に突入します。
七夕なので何か! 何かああああ!!
リンベルううううう!!! 初夜ああああ
と思ったんですけど、ヘッツェンなシーンにたどり着く前に時間切れになってしまいました。
いつかまたリベンジしたいです