思わぬ休暇



 2人分の体重を支える寝台が、ぎしりと悲鳴をあげる。
「殿下……」
 その縁に腰掛けたリンナは、暇そうに自身の脚の上で寛いでいる主君に声をかけた。
「んー?」
 その本人は、左手に巻き付けた鎖に夢中になっている様子だった。
 いつか、サナでマリーベルにプレゼントしたブレスレット。
 ベルカの知らなかった、リンナ──しいては市井の恋人たち──にとって特別な意味をもったそれを、『つけてくれ』と差し出されたのがつい半刻ほど前だったろうか。
「ずいぶん、細工には拘ってあるんだな。ここの鎖の切り替えはどうなってるんだ?」
 ごろりと身を転げ、膝枕のような状態になってブレスレットが光を弾き煌めく左手を掲げ上げた。

 別動隊のコールから連絡があり、策があるから今日は進軍せずこの町で逗留して欲しいとのことだった。外にでるなら必ず[ベルカ]ではなく[マリーベル]として女装しそのように振る舞えと釘を差されているベルカは、リンナ救出の折、久々のコルセットにシスターの服といういでたちで大立ち回りをしたせいで擦れた部分がどうも地味に痛いらしく、今日は体を締め付ける服は着たくないと屋内でじっとしているのに甘んじていた。
 いざコルセットを装着しようというところで断念したため、服装は馬車で王府に向かっていたとき、宿でそうしていたのと同じ。
 ──要は、目のやり場にすごく困る、ドロワーズに胸元の大きく開いた肌着、といういでたちだ。ウィッグは寝転がるのに邪魔と外してしまったが。
「また着替えんのめんどくせーし、ゴロゴロする分には楽なんだよ」
 部屋にふたりきり籠もっている、といえばなにやら色気があるが、その実体はただの暇つぶし、のようなものであった。

「何か……買って参りましょうか」
 大きな町ではないが、屋台程度は出ている。そうリンナが申し出たが、ベルカは首を横に振った。シャツの裾をぎゅうと握る。
「……俺をひとりにするな」
 不意に翳った眼差しに胸を刺され、それ以上言葉を継げずに黙り込む。
「ところでおまえ、傷の具合はどうだ?」
 半身をリンナの太股に預けたまま、ぺろんと握った裾をめくり上げ中をのぞき込んだ。
「で、殿下」
 あまりといえばあまりの行為に、リンナが焦った声を上げた。

 以前聞いた、傷口自体はふさがっているという言葉通り、その下には包帯はなかった。身に刻まれた無数の細かい傷痕、そしてひときわ目立つのはやはり、完治はしていないその傷。つやつや輝く薄い皮膚が覆いかくす傷口の周囲には沈んだ色の肉芽が、傷はここだと示すかのようにわずかに盛り上がっている。おそらく、目を閉じて触れてもわかるのだろう。
 息をのみそれを食い入るように見つめる言葉を失ったベルカに、ぽつりと告げた。
「……もう、大事ないのです」
 だから安心して欲しい、という響きを含んだ声音だったが、そうかよかった、と引き下がるには、生々しさ、痛々しさに過ぎた。
 ベルカはゆっくりとリンナのシャツを整えると、身を起こし、リンナの体躯を抱きしめた。長身のリンナの、幾度となくベルカを守った広い背はベルカの腕では届ききらず、傍目にはむしろしがみついているように見える、だろうけれども。
「……これは、私が殿下をお守りすることができた証です」
 背からじんわり伝わる体温に目を伏せ、ベルカの手にそっと触れてリンナは言った。
 私がこの傷を受けることで、殿下のお命が助かったならばいくらでもお釣りがきます、と。もしあの瞬間、とっさに殿下をお助けすることが能わず、自身は柵から逃れていたら、おそらく自分を許す事が出来なかったでしょう、と。
「そうだ、あいつ……歳星って言うんだ。生きてるって知ったら、きっとおまえに会いたがる」
 赤に止めを刺されそうになった瞬間、リンナが水門管制室から飛び降りその刃を反らせた、あの少年。
「彼のホクレアも助かったのですね。何よりです」
「エーコと合流して逃げて……直後に、新月と天狼が来てくれたんだ」
 それから、新法の施行の話と注意を喚起するために七つ天原──新月たちの集落を目指した。しばらくは、リンナの夢ばかり見た。当時の辛さが嫌が応にも想起され、腕に力がこもる。
「そうですか……殿下、水門で……私が申し上げたことを覚えていらっしゃいますか? 殿下をお慕いしているのは、なにも私だけではないと」
 あの日別れ際のリンナの言葉。忘れるはずがなかった。顔が見えない位置ではあるがベルカが頷いたのを感じ取り、リンナは言葉を続けた。
「殿下がご自分の意志で動かれ……そして、『結果』が出ました。新月と天狼の件も含めてです。これこそが、その証明になるのではありませんでしょうか」
 あなたにお仕え出来て、お守りできてよかった。
 温かな声音には嘘がない。ベルカは腕を解いて再びリンナの正面に回り、脚の上に乗り上げた。
「……ありがとな。けどおまえ、もっと自分を大事にしろよ」
 今度は首に腕を回し、肩にぎゅうと頬を押しつけた。
「国民はおまえだけじゃなくっても……恋人はたったひとり、おまえだけなんだからな」
 少しぶっきらぼうな口調でぼそぼそと紡がれる言葉と、ちゃりとプリムシードと腕輪の石がぶつかる、硬質の音。
「はい、殿下……」
 重なる唇に応え、ベルカの腰に腕を回した。やわらかな布一枚を隔て確かな体温を感じられ、鼓動が速くなる。
 傷を気遣っての事か、クッションを差し入れられてから、ゆっくりとベッドに押し付けられた。

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あとがき的なアレ
『リンナの膝の上でごろごろしてるベルカがシャツをぺろっとめくる』
というシーンを受信したので!