魔法少女マリー☆ベルカ



 緩く拘束された手首。左右を結びつける細引きを見、リンナは溜息を吐いた。
 あのとき、修道院の前で。自分が思い切っていれば……ああして犯されることもなかったのだろうか。易々とふたりを受け入れてしまったそこは、不甲斐なさを責めるように未だ熱さに似た痛みが苛む。
 あれは紛れも無く自身に起きた出来事であると、釘を刺すように。
 鴉を束ねる男に担ぎ上げられ、温かい湯で拭き清められた。いっそ意識を失ってしまえれば良かったのかもしれない。
 歩けるようにはなったが、未だ体力は回復しきらない。
 鴉の前では容易にねじ伏せられてしまう、その程度であるという現実を叩きつけられた気がした。
 脱出の術が無い訳ではない。が、今この部屋から出たところでなんとなる?
 襲撃の際、リンナとともに在った僧のことも気がかりだった。本来この修道院に寝起きし、神への奉仕を行っていた筈の尼僧たちも。
 取引材料として使える自分はこうして、緩い拘束のみできちんとした寝台、暖炉まである部屋をあてがわれているが、ほかの者はいったいどんな仕打ちを受けているのだろうか。最悪、殺されているのかもしれない。
 
 ベッド端に腰掛けそんなことを考えていると、鉱石灯が光を投げかける部屋に、不意に赤い光が点った。
 その周囲の空気がゆらりと揺れ、まるで火の向こう側を見たときのように景色が歪み揺らめく。
 カラン、と音を立てて最初に落ちてきたのは、何か棒状のものだった。
「鞘……か?」
 屈み、それを拾い上げる。その瞬間、光が溢れた。
 眩いそれに目をやられぬよう、左手で今し方拾い上げた鞘を持ち、拘束されたままの右腕を目の上に翳す。
「リンナ、動くなよっ!」
 その声の持ち主の、所在を問う間もなく。
 手首同士を繋げていた細引きがぱらりと落ちた。
 溢れ出した光の中から現れたその存在を支えようと右腕を伸ばす。触れた手に伝わる確かな存在とぬくもり。が、勢いのついたその身を支えるには体勢が不利すぎた。
「ぅわっ!」
 どさり、と倒れ込んだ2人分の体重。すぐ後ろにベッドがあった事に感謝した。傷は治りかけているが、無理な姿勢を強いられたせいか少しひきつれた痛みを覚える。
「悪い、勢い付いちまって……大丈夫か?」
 ベッドにリンナを縫い止めるような姿勢でその顔を覗き込んだのは、紛れもない愛しい主君だった。それも長い髪を三つ編みにしたウィッグをつけ、深い色のワンピースを着た姿の。
「ええ、問題ありません。しかし……どうしてここに」

 ふ、と目が眇められる。優しい、優しい色の瞳。ふわりと笑みを見せ、心の底から逢いたかったその相手は言葉を紡いだ。
「バカなこと聞くんじゃねえ」

 迎えに来たに決まってんだろ、と。
 そうしてリンナが手にした鞘に、携えた剣を納める。
「おまえがすぐに鞘を拾ってくれてよかった。まだうまく力を使えねーから、媒介にできるこれだけ、先にこっちに送ったんだ」
 剣そのまま送ることも出来なかったから、鞘だけな。と言うそれはベルカが初めて魔法少女マリー☆ベルカに変身するきっかけとなった事件の折、リンナの手にあったものだった。
 体細胞を活性化させる魔法や、物質の分子に作用して加熱する、時に火を起こしたり爆発させるようなものと比べ、その場に対象、もしくは目的地のない転送魔法は難しい。リンナが記憶している限りでは、ほんのわずかな距離であってもベルカがそれに成功したことは一度もなかった。周囲の空気に働きかける以外の方法では、木の葉一枚動かすことも出来なかった。
「あの時は、こんなカッコなんてしたくねーって思ってたし、魔法だって半信半疑だったけど、この力を使えばおまえを助けに来られるんじゃ……って思って、練習したんだ」
 まだまだ見習いみてーなもんだけど、と頭をかき、組み敷いたままのリンナをぎゅうと抱きしめた。
「逢いたかった……リンナ……」
 衣服越しに伝わる熱は、体温だけでなくその不思議な力を宿してもいた。鉄柵に貫かれた部分に焼け付くような痛みが襲い、すっとその感覚がひいた。ああ、これは治癒の魔法かと合点がいった。
 その背に手を回したのは、半ば無意識だった。
 視線がぶつかり、絡む。目が伏せられ、唇が重なる。
 次の瞬間、リンナは身を反転させてベルカを組み敷いていた。扉が蹴破られるのと、何者かが飛び込んでくる気配、そしてぴたりと止められた剣先の切った風が首筋を掠めるのはほぼ同時だった。
「どこから入った……オルハルディさんに、何をしていた」
 やはり、思った通りの人物であった。
「ルツ……」
 ゆっくりとベルカの上から身を起こし、ルツとベルカの間に自身を挟むように相対し、腕を僅かに開く。
「オルハルディさん……そこ、どいてください。どうしてかばうんです」
「この方に手を出すな……後悔することになるぞ」
 刹那逡巡し、リンナはベルカの名を紡ぐことを避けた。
 今し方傷を治してもらったとはいえ、今相対しているルツ以外にもロト、そして2人に『先生』と呼ばれる、鴉隊を束ねる男。少なくともその3人がこの修道院にはいるのだ。『侵入者』がベルカだと知れれば、当然その身柄を確保しようとするだろう。
 魔法についての知識は、言い伝えと立太子式典前夜に読んだトト・ヘッツェンのページの隙間に隠してあった程度のものしか無かったが、その身に負担がかかるということは知っていた。転送魔法などという高度なものを使用しては、尚の事だ。
 つまり、ベルカの魔法には頼れない。
 リンナのその考えを察知したのだろう。小声でありがとな、もうちょっとなら大丈夫だ。と呟き、ベルカが起きあがった。聖書の写本にでも使用していたのだろうか。サイドボードに転がっていた、質素な木軸のペンを握る。杖の先端で双翼の獅子が羽ばたき、赤い光が点る。手の中、小さかったそれは見る間に形を変えた。
「リンナ、これ、槍……のかわり!」
 媒介として用いた剣は、あくまでも式典用の飾り剣である。実戦ではきっと容易に折れてしまうだろう。それならばむしろ、慣れた得物だ。
 すらりと伸びたペンは、しっくりとリンナの手に馴染んだ。
「あのさ……もしおまえが嫌じゃなかったらなんだけど……俺、やっぱおまえに一緒にいて欲しーんだ」
 ぽつりと紡がれる言葉。その表情は見えないが、そんなのは些末なことにすぎない。
「おまえと食いてーもんいっぱいあるし。魚の揚げたのとか……ペラペラの皮ん中に肉と野菜の入った平べったいのとか」
 変わられた、しかし、変わらない。そう思った。
「……夢を……見ているのかと思いました」
 八方塞がりになってしまったこの状況から逃避できるという甘い夢を。魔法などというものを目にしてしまっては尚の事だ。
「でも……ここはもう現実なのですね」
 ぬるま湯のような甘い甘い夢でも、悪夢のような時間でもない。
「それならば、この……リンナ、いずこまでなりともおそばに」
 ペンの槍を握る手に力を込め、グラディエーターを携えるルツに相対した。
「……ベルカ、王子?」
 ルツにその正体を言い当てられ、思わず顔を見合わせた。
「やっぱり。オルハルディさんが……そこまで言うから」
 絆を目の当たりにし、その正体を察知したのだという。
「なら……殺すわけにも逃がすわけにも、いかない」
 じり、とルツが距離を詰める。狭い場所では、懐に入ってしまえば槍よりも取り回しの効くグラディエーターの方が有利だ。
 ベルカが口を開いた。
「リンナ……また、おまえに頼っても……いいか?」
 問われるまでもなかった。答えは最初から決まっている。
「あなたに頼っていただけるなら……それが私のなによりの幸せです」
 ありがとな、もう一度紡がれた言葉。リンナは身体に力が溢れるような感覚をおぼえた。
「たぶん、今日使える魔法は……これで、最後だ」
 ドン、と大きな音を立て、背後の壁が爆発した。外へと駆け出した。立ち回りやすい、広い場所へと。

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あとがき的なアレ
6巻表紙があまりにマリリンすぎて滾ったので何かそのネタで書きTEEEEEEEEEって思った結果がこれです。
ヘッツェンに分岐させるつもりだったのにおかしいな…