残り香
本当はこんな申し入れもするべきではなかったのだ、きっと。
かつて、『先生』とともにキリコに仕えていた頃、身に纏うのは鴉隊の制服であるのが常であった。が、時にそうしていたように、今は衛士服に身を包みオルハルディに仕えている。
あの頃は初めてのその感情に、自分のことだけでいっぱいいっぱいになっていたけれど、今ならわかる。
自分がどれだけ、想い人に酷いことをしていたのか。
それでも、あの申し入れを受け入れてくれた。仕えることを許してくれた。──手を出すな、という釘は刺されたが、たとえ口に出されずともそんなことはわかっていた。
好きな人が笑っている。
それは、幸せなことなのだと言い聞かせる。
オルハルディとベルカ王子は、何をするにもいつも一緒だった。
仕事中はもちろん、ささやかなプライベートな時間でさえも。
黒には向けられることの無かった笑顔、優しい視線をオルハルディは惜しげもなくベルカ王子に注いでいた。
心身ともに捧げていると言った、その言葉が虚偽などではないと日々証明し続けるかのように。
それでも、オルハルディが全身全霊をベルカに向けていることを思い知っても、気持ちを断ち切ることは難しかった。
鴉としての訓練を受けていたとき、散々叩き込まれたはずの平常心。それを保つのは、以前の黒であれば造作もないことだったのだが。
護衛という立場である以上は黒も常に2人のそばにいるべきである、というのが普通の考えなのかもしれないのだが、つい気を回し、離れていることも頻回にあった。そもそもが2人とも、おとなしく護衛に守られているような性格ではない。
ふう、と息をつく。
この程度で疲れるような鍛え方はしていないが、ため息をつきたくなる瞬間というのはあるものだ。
少し1人になろうと、自室に向かい雪華宮の廊下を歩いていく。ふと目に留まったのはいちまいの扉だった。
「……オルハルディさん」
今は部屋にいない、その部屋の主の名を唇に乗せる。今頃は会議中の筈だ。ノックをしても、当然ながら返事はかえってこない。
身を滑り込ませても、『オルハルディの配下』である黒に疑問を持ち、呼び止める者はいない。
整えられた寝台。しつらえられた枕。そっと手に取り抱きしめる。
ふわりと鼻腔を刺激するのは、オルハルディの匂い。それにつられるように、黒は寝台に上がり込んだ。掛布に包まり肺いっぱいにその空気を吸い込む。
(少し……だけ……少しだけなら、許してもらえる、かな……)
オルハルディの残り香を感じるくらいは、許してもらえるだろうか。
その中で自身を抱く。あたたかい腕で抱きしめられることを夢想するように。
人の気配で目を覚ました。居室内への侵入をすでに許してしまっていることに冷水を浴びせられた心地になりながら、その気配を探る。
次の瞬間、黒はベッドを飛び出して平謝りすることとなった。
が、落ち着いて顔を上げろと促される。
口火を切ったのはベルカ王子だった。
「あのさ……あんま、無理すんなよな。こいつに手を出すなって……確かに言ったけど、俺はおまえの気持ちそれ自体まで否定する気はねーし」
なんつーか、心を殺そうとする必要はねえ、っつーか……と言葉を選びかねる様子のベルカ王子に、オルハルディが助け船を出した。
「受け入れることはできなくても……理解することはできる。おまえの気持ちを受け入れることは出来ないが、その気持ちを持つことを禁じることも……出来ない」
そして。
「ルツ」
名が、紡がれる。
そっと延べられた手。その指先が触れ、撫でられた髪は確かに黒のもので、わずかに眇められた視線が向けられている先も、間違いなく黒自身なのだった。
きゅうと胸を締め付けられる感覚は苦しくもあったが、なぜだか温かくも感じられた。
あとがき的なアレ
9/6は黒の日ということでルツSSを書いたんですけどサイトにうpするのをすっかり(ry
9/6は黒の日ということでルツSSを書いたんですけどサイトにうpするのをすっかり(ry