子守唄



 その晩はとても空気が澄んでいて、満ちかかった月が夜の空を照らしていた。
 窓越しに見上げるそれは少し歪んでいて、縁が滲んでいた。
 肌寒さを感じ、上掛けをベッドからはがしマントのように羽織る。
「……眠れないの?」
 ノックもなしに扉を開けるような人物はひとりしかいない。ひょいと顔を出したのは果たしてエーコだった。
「ん……いや、月が……きれいだなって」
 その事実をそっと隠すように、先ほどまで見ていた、少し縁の乱れた金色の円を見上げる。
「ねえベルカ、眠れないなら子守唄をうたってあげるよ」
 手に馴染んだ11弦を取り出した。眠れねー訳じゃ……などと言っていたが、歌を断る理由にはならない。
「眠ろうとはしなくていいから、ベッドに横になって、目を閉じて聴いていてね」
 弦を爪弾き、メロディーを奏でる。
 低く歌いだしたのは、確かに子守唄だった。
「なんか……なんでだろうな。すげえ懐かしー感じがする……」
 母上がこんな歌をうたっていた気がする、と呟いた。
「これはね……アディン島の歌なんだよ」
 しかしベルカは、その固有名詞に思い当たらないと見え、首を傾げた。
「カリュオンの一部、だよ。舞手の島とも言われていてね、アディン騎士の剣舞と舞姫の扇舞がそれはもう見事でね……式典でも喚ばれていたみたいだけど」
 エーコの簡単な説明にああ、と頷いた。
「そういや見たな。なんか……説法とかが続いて眠かったからよく覚えてねーけど」
「きみのお母さん……踊り子っていう話だったけど、もしかしたらアディンの舞手だったんじゃないかな? その黒い髪、あっちの方の地方では多いんだよね」
 そこまで言って、エーコはでもおかしいな、と首を捻った。
「アディンの剣舞を舞うことが許されているのは騎士のみなんだ。舞姫にもまた、相応の身分が要求される。……つまり、お母様がもしアディンの舞姫だったのだとしたら、『平民』である筈がないんだけど」
 ベルかはいまいち興味がないような調子で応えた。
「んー……よくわかんねーけど、それじゃあその、アディーネって奴じゃねえんじゃねーの? 平民じゃなければわざわざ身分隠したりしねーだろうし」 
 キミがそれを言うんだ、とエーコが噴き出した。もちろんマリーベルのことを指している
「何らかの事情が……あったのかもしれないね。公表できないような、さ」
「別に、どうだっていいよ。昔の話だろ」
 ふうん、とエーコが問う。
「キミは……気になったりしないの? 自分のルーツとか」
 まあ、王族なんだから言うなればこの上なくはっきりしてるもんね。考える必要もなかったのかな、と呟いた。
「知ってどうなるってもんでもねーし……。ロヴィスコ文書の件は、知らなきゃって思ったけど」
「ぼくはね……すごく、知りたかった。知ってどうなるってもんじゃないっていうのは確かにそうだけど、それでも。ラーゲンの家には口伝っていうものがあったから、余計にそう思ったのかもしれない。確かめたいって気持ちがなかったら、今ぼくはここにいないだろうし、ね」
 うーん、とベルカが唸る。
「まあ……考えてもみなかったっていうのが本当のところだけど……実際。ロヴィスコ文書のことを知っても、謡を聴いても……俺は、俺だからさ。昔何があったとか、英雄王ライツが何者かっていうのと、俺は俺だっていうのは関係ねーし」
 へえ、とエーコが金色のポニーテールを揺らし、目を瞬いた。
「……ベルカたんの事、なんだか見直しちゃった」
 なんだよ突然、というベルカに、変な意味じゃないよーとウィンクを飛ばした。
「俺……あんまり、そういう意識なかったし。そもそも王族っつっても、誰も俺を王子扱いとかしなかったし。年に一度サナの英雄王廟に詣でんのも面倒だなって思ってたぐれーだし。ライツ一世も……なんか、先祖っつーよりも歴史の教科書に出てくる人ってイメージがあるんだよな」
 ふ、と目を伏せた。
「王の子だって言ってくれたの……あいつぐらいで」
 寄せられた眉根。引き上げられた掛布で口元まで覆われていても、辛そうな様子がはっきりと見て取れた。
 エーコは短くごめんと呟くとそこで話を打ち切り、先ほどの歌の続きを奏で、歌った。


 知っている。
 ベルカが眠れない訳を。眠るのを怖れる訳を。
 夢に、何度裏切られたのだろうか。
(でもね、ベルカ)
 夢に出てきた相手は、その相手が自分に会いたがっている……って言い伝えもあるんだよ。
 震えていた吐息が規則正しい呼吸音になった頃、エーコは小さくおやすみと呟き、静かに部屋を出た。

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あとがき的なアレ

 スパーク合わせのオフ本を脱稿したのでうっひょおおおおぅとなって
ちょうどその時浮かんでたエコベル…エコベル…?? これカップリング表示いらなくね…?
となった話でした。
ベルカがロヴィスコ船長の子孫であることが公式確定したので、
敢えて舞姫の身分を隠して契ったりとか、って妄想などを…