求むるは罰



 私は手を祈りの形に組み、告解室で静かにひざまづいていた。
 大聖堂は城区のうちにあるが、浮世から離れたここは空気すらも清浄な気がする。
 かすかな衣擦れの音、天井近く高いところにある小窓から、促す声が聞こえる、呼吸を整え、口を開いた。
「私がした行為は、裏切りだったのでしょうか」
 大幅な人員の異動は、自身の進言が基となった調査で太陽宮の女中が大部分処刑されてしまったことが所以である。
 それを聞き、小さな胸を痛めていたのだ。
 いつもただ『赦す』としかいわない天窓の声は、しかししばらくの間の後にこう告げた。
『汝の行為は罪にはあたらない』

 告解室を出た私の足取りは重いままだった。
 仮初めでもいい、神の赦しを得て少しでも気分を軽くしたかった。
 だが、罪にはあたらぬと告げたその声は、それ以上なにを紡ぐこともなかった。
 罪ではない。ゆえに赦しは与えられない。
 この重みを肩代わりしてくれる存在は、相変わらずないということだ。
 小さな鏡を取り出し、覗き込む。これからまた仕事がはじまるのだ。太陽宮で医術師の助手を務めている立場の自分がそんな様子では、他者に不安を与えてしまいかねない。あまり暗い顔をしている訳にもいかない。
 少し顔色が悪いのは自身も大病禍に罹っているから──という訳ではなく、激務のせいである。本来であればある程度の休息が義務ですらあるのだが、人員の不足と緊急事態にそうも言っていられないというのが実のところだ。
 とはいえ、仕事で疲弊してしまった方が、ベッドに入ってからあれこれと考え悩むことなく眠りに就くことができる。
 私はひとつため息をつくと、来た道を引き返した。

 分厚い一枚板のドアはとても重厚で、他者を拒否するような佇まいすらある。
 それを敲くと、中から端的な返答が返ってきた。
 入れ、と。
 失礼いたしますと声をかけ、それを推す。
 身を滑り込ませる。シトロンと、コーディアルの材料になる薬草や果実を数種類。それらを棚におさめ、すぐにその部屋の主の診察を始めた。
 普段は幾重にもわたる着衣の鎧に身を包んでいるが、それらを取り去れば驚くほどにその肌は白く、黒い髪とのコントラストが映えるのだ。
「それでは失礼いたします、キリコ・ラーゲン閣下」
 口の中を覗き込む。瞼をめくって色を見る。集音用の杯を胸に背に当てて、鼓動と呼吸の音を聴く。疲労が滲んでいる様子ではあるが、それらのどれにも異常はない。
 診察を終えると、閣下は当然ながらすぐに着衣を身につけた。
 脱ぐときも着るときも、まるで自分の存在など完全に無視されているようで、ほんの少し寂しくなる。
 とはいえ、甘いことなど言っていられる状況ではない。それは重々承知していた。
 王太子であらせられるオルセリート殿下がお倒れになられたのだ。それも、大病禍に罹患している可能性が高いという。
 先生は殿下につききりで、閣下もこうして毎日、病の兆候がないかをチェックして体調管理に余念がない。
 その意外なほどの痩躯と薄い胸。細い腕に絡め取られたいと思うようになったのは、きめの細かい肌に顔を寄せ、直接に耳を当てその鼓動を聴いてみたいという、あまりに不謹慎な想いを抱くようになったのはいつの頃からだろうか。
 かねてより仄かな想いを寄せていた相手ではあるが、こうしてはっきりと気持ちを自覚したのは。
 ああ、それともこれこそが、非常の事態に自身の感情に囚われてしまっていることこそが罪なのだろうか。

 告解室の床はいつも冷たく、私を安心させてくれる。


 大聖堂からの帰り道、私を待ち受けていたのはラーゲン閣下だった。
「どこに行っていた。あまり出歩くなと言ってあったはずだが」
 閣下に鋭い視線で射抜かれ、鼓動が跳ねる。
「その……告解に」
 告解だと、と閣下は眉を顰めた。
「まさかとは思うが、殿下のことではあるまいな。この件、口外したら……貴様の命、ないものと思え」
 ああ、閣下にこんなに強い視線を、言葉をいただくことなどこれが初めてで、私には早鐘を打つ鼓動を止めることなど出来そうにありません。
「答えろ。何を話した。事と次第によってはただではおかぬ」
 閣下に追及され、私はつい笑みをこぼした。
「あなたに罰されるのでしたら本望です、キリコ・ラーゲン閣下」
 私の言葉に閣下が腰の剣に手をかけた。閣下と同じ、黒い髪の少年従者がその手を止める。
「私の罪は、閣下。このような事態においてあなた様に惹かれていることです」
「何を……馬鹿なことを。誤魔化すな」
 苛々と頭を振る。撫でつけている髪が一束額にかかったのを、自然な所作で直すその手袋に包まれた指先に想いを馳せる。
「いえ、真実でございます。……ですから閣下、あなた様の断罪なら、私は喜んで受け入れましょう」
 返答が余程予想外だったのか、閣下はただ目を瞬かせていた。常軌を逸した事を言っている事くらいは心得ている。
 どれほどの時が経っただろうか。閣下は一つ息をつき、踵を返した。
「……叶わぬ思いを抱いて生きろ。それが、罰だ」

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あとがき的なアレ

 Twitterで『キリコに報われない片思いをしたい』という話になり
 そのときになんとなく浮かんだネタをそのままお話にしてみました。