技術指導



 後で少々お話が。その『後』は、宴のさなかにやってきた。
 主役はもちろんベルカだが、中には救い出された従者を一目見ようとする者も何人もいた。機を見て脱け出せるよう計らわれ、そしていまふたりはここにいる。

「そうです。そのまま下に」
 コールの指導に頷き、リンナは動作を続ける。
 今日カミーノに着いたばかりであるが、明日には王府に発つ予定だ。
 ろくに身を休める間もない強行軍であるのは仕方ないことと言えよう。
 リンナがキリコに話を聞かされていた頃とは状況が違う。カミーノ、ひいてはロンダレア領のみならず、王府にまで死神の影がちらついているというのだ。数千を数えるという王府の民。オルセリート王太子殿下、そしてミュスカ内親王殿下。いつ誰が死神の鎌にかかってもおかしくない状態であるという。
 その鎌から逃れられる方法を、ベルカは手にしているのだという。
 いや、ベルカが持っているというのは少し違うのかもしれない。それを知っていたのは、ホクレアの薬方師だ。技術を伝達するだけならばホクレアがひとりいれば可能だ。そして同じくホクレアに、看護を引き受けてくれる者があれば。
 だがしかし、相変わらず王府ではホクレアへの差別も偏見も根強いのだろう。なにしろ、従順な奴隷であっても鎖で繋ぐことすら義務づけられていたくらいだ。それに、立太子式での襲撃の件もある。鴉の頭領を通じ伝言はしたものの、それがどこまで適うものなのかはわからない。
 偏見の残る王府では、手をさしのべてくれる相手をひどい目に遭わせかねない。それは絶対に避けたかった。ならば、自分が行くのが一番の早道で、そして確実だ。そう言うベルカに誰も反対をしなかった。
 ベルカが王府へ向かうとなれば、当然リンナもともに赴くことになる。今度は毒使いという仮の姿ではなく、ベルカの従者として、側近として。
 かつて王太子ヘクトルの従者であったコールに振る舞いの指導を乞うのは、ごく自然なことだった。
 そして、師弟制度に付き物なのが──。

 いや。あるいはこの行為さえも、コールによる指導なのだ。
 指導は言葉だけには留まらなかった。
「こ……う、でしょうか……?」
 爪は短く切りそろえた上、ヤスリを丁寧にかける。
 そうして整えた指先を、指導されるがままに自身に埋め込む。自分の指であるとはいえ、違和感は拭い難かった。あるいは、自分の指だからこそ、かもしれない。武官らしいごつごつと節くれだった指。これが女のそれか、あるいはせめて文官か、もしくは、愛しい――。
 つい脳裏に浮かべてしまった顔。リンナははっとしてそれを打ち消すように顔を振った。コールがそれに気づき、柔らかな笑みを浮かべ、煉瓦色の髪を梳くようにリンナの頭をそっと撫でた。
「いえ……それで、いいんですよ。オルハルディ殿」
 今リンナが相対しているのは確かにコールだが、この行為に感情を介在させろ、と言う心算は無かった。あくまでもこれは、ベルカ王子を悦ばせるための行為の手技の伝達である、というのが大義名分である。
 しばしほっとしたように表情を緩める。緊張が緩和されたせいか、先ほどよりも幾分指先を締め付けられる力が減じている気もする。
「ヘクトル様は……ある種の求道者でした」
 快楽を、ひいてはエロスということばでまとめられる、ありとあらゆる事象を追い求める。
「それゆえ、私も付き合わされて……いえ実地訓練の相手役としての御役目を拝命し、ご指導を賜っていたのですが……こんな風に役立つ日が来るとは思っておりませんでした」
 ベルカも、トト・ヘッツェン──に、偽装された古文書ではあったが──の件を、兄上らしいと称していた。成程それならば従者であるコール殿もこうした性知識を有しているのは至極当然なのだな、そう思えた。
「なるほど……それは、ヘクトル様に、感謝をせねばなりませんね」
 よく眠れていなかったベルカに、カモミールなど眠りへの薬効のある茶にもう少し成分の強い薬湯を混ぜたものを処方されていたというのは聞いていた。半強制的な眠りが浅くなり、夢ではいつもリンナを求めていたらしかった。それは純粋に失ったと思った存在を求めるようでもあり、また別の意味でもあったという。
「あなたの怪我がだいぶ治っているようで何よりでした。流石に、怪我人に無理をさせるわけには行きませんからね」

 コールに呼び出されたリンナは、王子付きの従者としてすべき一通りの振る舞いを伝授された後に、今宵の夜伽を指示されたのだ。
 もちろんベルカがその気にならないならば、ただその傍らに控え、出発前夜のベルカの心の平穏を保つようにと。寝台に招き入れられるならば、ただ眠るのもよい。だが、状況によっては求めに応じるように、と。
 明日からはまた王府へ向けての旅だ。そういった機会は作りにくくなる。野営は極力避けるとしても、ある程度の人数が一度に移動するとなれば人目を避けることはできない。
 また、王府に着いたら着いたで四六時中誰かが控えている生活では、自慰すらもままならない。今もそれに近いものはあるが、王府に比べればずいぶんと人目は少ない。それに、ほぼ放置、あるいは無視に近い状況であった従前とは状況が違うのだ。
 側仕えの従者が折を見て処理をするのだ、とコールは言った。
「……しかし、ベルカ殿下と全くそういった交渉を持っていないとは思いませんでした。従者が主人の性欲処理を行うのは、なにもヘクトル様に限ったことではないのですよ」
 先ほどのリンナの言葉をやわらかく否定する。思い入れが強かったので行為に及ぶくらいはしていたかと想像していましたが意外です、という言葉に頭を掻く。
「申し訳ありません……その、私はそういった……上流階級の流儀には明るくなくて」
「そうですか。過去のことは仕方ありませんが……これからは嫌でも関わっていくのですから、覚えていただかなくては」
 ベルカ殿下の恥にもなりかねませんし、という言葉に気持ちを引き締める。
 埋め込んだ指で、自身の内部を探る。
「ふ……」
 内臓に触れているような、触れられているような感覚をやり過ごそうと息をつく。
「しっかり軟膏を塗り込んで、解してくださいね。男の未経験は女のそれ以上にしっかり解さなければ、挿入する方も快楽を得られないのですから。あなたがあまり苦しがっては、ベルカ王子が引け目を感じます」
「は……はい」
 指の1本でもこのような違和感があるこの部分に、果たして本当にベルカを受け入れることが出来るのだろうかと不安になる。
 それとも。
 ふと思うところがあり、リンナは目を閉じてまぶたの裏に愛おしい相手を描いた。
 その手で触れられることを、先ほどコールがしたように髪を梳かれることを、抱きしめられることを──夢想する。
 身体の芯に火が点ったような気がして、じわりと汗が滲む。
「ッ……」
「そうです。あなたが……飲み込みが早く、筋が良くてよかった」
 熱を帯び始めた吐息に、コールが目を細める。
「場合によっては私があなたを開発する必要があるかと思いましたが、それはしなくても済むようですね」
 未通であるならば、きっと殿下ご自身でなされるのをお望みでしょう、と結んだ。
「では……」
「私からあなたに伝授できるのは、差し当たってはこのようなところです。隣の湯殿できちんと身を清めて、殿下の所に行って差し上げてくださいね」
 殿下も疲れておいででしょうから、そろそろ宴席を抜けられるよう手筈を整えなければと笑む。すぐに姿を消したコールの背を見送り、リンナはこれから先の道を思った。


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あとがき的なアレ

 書きかけ放置だったコール×リンナ(書き始めたのはたま先生ブログで兄上がゆり! と言い出した頃のことなので、2ヶ月くらい放置してましたね…)が
 都合よく12月号から続きそうな雰囲気を醸し出していたのでサルベージしてきました。
 今月号は妄想だと思っていたら正史だった がぽんぽん出てきてこれが原作最大手の力ッ…!