鳥の報せ


シェズ離宮。
 直轄領ながら飛び地であるここは、王府に比べれば随分小さいまちだ。
 城区に建ち並ぶ宮もまた、王府のそれに比すれば随分小さい。しかし、それはみすぼらしいとかそういう方向ではなく、むしろかわいらしく見える。ミュスカはこのシェズの離宮が好きだった。
 海に近く、晴れた日に窓からそちらを眺めれば水面が宝石みたいにきらきら輝くのも、とても素敵だ。
 幸いにして大病禍の鎌の一撃をほぼ避けたシェズは来るべき花まつりに向け、どことなくまち全体が浮かれている。こんな状況でなければ、もっと素直にここを楽しめただろう。
 物事には順序とか、順位とか、そういうものがある。
 ミュスカにとっては、花まつりやこのシェズ離宮よりも、オルセリートの方がずっとずっと強い『好き』の対象なのだ。
 とはいえ、シェズに向かう事はオルセリートと約束してある。
 それに以前のように自分が脱走などすると、侍女のペイジェが酷い目に遭わされるかもしれない……ことも、幼いながら理解していた。今はこうして、シェズにいるよりほかない。
 ……となれば、少しでもこのシェズ滞在を楽しんだ方がいいに決まっている。

  「あら、この花」
 木々に春告げの花のつぼみがちらほらと見られるようになったこの時期、足元の草花に注意して歩く者はあまりいなかった。ミュスカとて、もし身長がもっと高かったら気付かなかったかもしれない。
 そんな風にささやかに咲いている雛菊を見付け、ミュスカは微笑んだ。
『ベルカが持ってくる薬があれば大丈夫』
 オルセリートはそう言っていた。
(つまり、へいみんはいま、おしろにかえってくるとちゅうなのよね)
(──このひなぎくの花を、マリーベルおねえさまにささげたオルハルディにめんじて、ベルカ『おにいさま』ってよんであげてもいいけど……)
 ぷう、と頬を膨らせた。
(もう……オルセリートおにいさまがこまってるんだから、はやくしなさいよね! またかくさげにするわよ!)
 そんな風に考えながら、そよそよと頬を撫でる心地の良い風に身を任せていた。
「姫様、こちらにいらしたのですね」
 ペイジェの姿を認め、屈んでいた身を伸ばす。
「王府とは趣が違いますが、こちらのお庭も素敵ですね。敷物をお持ちしましたので、こちらにお座りください」
 毛足の短い敷物を広げる位置を指示し、腰掛ける。
 と、上空を見上げると、視界を横切る黒い影があった。
「鳥だわ!」
 大きく羽ばたき、滑るように空を切った鳥は、宮殿に設えられた物見の塔に飛び込んで行った。
「ねえ、じじょ!」
 立ち上がった幼い姫君の瞳は、その思いつきの素晴らしさにきらきらと輝いていた。
「ミュスカ、おにいさまにおてがみをかくわ!」

 *

 発言の内容が突飛なものでない事に安堵を覚え、ペイジェは頷いた。
「そうですね、姫様からのお手紙ならきっと喜ばれると思います」
「レディとしておてがみをかくなら、じじょはてつだってくれるわよね?」
 勿論です、と頷いた。
 少しずつ文字を覚えてはいるが、まだ自分の字が完璧である自信は持てないのだろう。それに、今までの『字の練習』は黒炭を削ったものに革のカバーをつけて手が汚れないようにしたもので、羊皮紙に文字を記す為の羽根ペンを握った事すらもない。
 読む方は今では随分上達して、簡単なことばで綴られた絵本ならば、労せずすらすらと読む事が出来るのだけれども。
「じじょ! そうときまればいそぐわよ! はやくおてがみをかいて、ちゃんとシェズについたことをおにいさまにおつたえするの!」
「それはいいお考えですね。姫様のお手紙を読まれれば、オルセリート殿下もご安心なされるでしょう」
 謁見の際の様子では、王太子の病状はけして良くはないことがよくわかった。ミュスカは幾度も脱走をしてまで面会を果たそうとするほどオルセリートの事を思い、オルセリートは感染をおそれ遠ざけようとしていた。どちらの想いも理解できる。
 幼い姫君は子供ながら、理由さえわかっている事ならば聞き分ける聡明さも持ち合わせている。周囲の事も気にかけ、最善の策を選ぼうとする。その幼い姫君の成長ぶりに、ペイジェの胸は喜びに震えるのであった。

「うーん……」
 何度も何度も手紙を読み返し、ミュスカは首を捻った。
「これでいいかしら」
「立派なお手紙だと思いますよ。オルセリート殿下も喜ばれることでしょう」
 にこりと微笑むペイジェの言葉に関わらず、ミュスカは眉を寄せたままだった。
「かきわすれたことがある気がするの。じじょ、こころあたりないかしら」
 クッションに凭れ、先ほどから何度も何度も読み返している、インク乾き立ての手紙から視線を上げた。ペイジェの『指導』のもと悪戦苦闘しどうにか書き上げたそれは、たしかに達筆とはいえず拙い文字ではあったが、心は伝わってくるようだった。
「報告書ではありませんから、手紙は書き忘れがあるくらいでいいんですよ」
「どうして?」
 すぐにお返事があればよいのですが、と前置きをする。
「もしそうでなかった場合、それを理由にもういちどお手紙を出せますから。……鳥は速いですが夜飛ぶ事は出来ませんし、途中で他の鳥に襲われたりということも起こり得ます。届いているかどうかを確認したくても、催促するように、書き忘れの追伸でしたら問題ありませんからね」
 ペイジェの言葉に、ミュスカはベッドからぴょこんと滑り降りた。
「ならいいわ、早速送る用意をしてちょうだい!」
 期待に満ちた笑顔に頷き、王府へ鷹を飛ばした。
 『鳥は返って来たかしら』毎日、事あるごとにそう訊ねられる覚悟は、もう出来ている。


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あとがき的なアレ
大阪用のペーパーに載せたミュスカ&ペイジェのSSです。
せっかくミュスカも文字を覚えたのだからお手紙とか書くといいなって思いました。
言葉は必要性があれば言い回しとかすぐ覚えますし!