知らぬは……


 どうも、べルカ殿下がよくお眠りになれないようだ。
 当然かもしれない。最後に石窟礼拝堂の前で目撃されてから、兄であるオルセリート殿下の足取りは途絶えている。
 石窟礼拝堂は薄暗く、見通しが悪い。ホクレアである新月や、ラーゲンの手により身体能力を向上させられている鴉が捜索にあたっている。のだが、手がかりはまだまったくといってよいほど掴めていない。

「コール殿」
 せめて眠っている間だけでも安心していただけないだろうか。訪ったのは、コールが『謹慎』のためと引きこもっている部屋だった。
 ホクレアの薬草師に学んだという彼は、ハーブなどについても詳しい。安眠効果のある茶などを教示してもらえないかと思ったのだが、答えは思いもかけぬものだった。
「では、同衾されるのはいかがでしょう?」
 その言葉に目を瞠った。
「ど、同衾……というのは」
 口籠ったのを別の意味に捕えたか、コールが冷静に言葉を続けた。
「同じベッドで眠ることです。ヘクトル様がおとなしく眠ってくださらない場合などは私もしたものです」
 おとなしく眠ってくださらない場合、という言葉に、コール本人やべルカに聞かされたヘクトルの人物像を重ねて内心で苦笑する。彼の場合、同衾といっても本当に共寝するだけなのだろう。見張りの距離がごく近い状態、といった方がよいのかもしれない。
「な……なるほど、参考にさせていただきます」

 一礼をして部屋を出た。次いでキリコ=ラーゲンの部屋を訪ねた。コールがヘクトルの従者であったように、キリコはオルセリーとの従者だった。ヘクトルの例はあまりにも参考にならないが、オルセリートならばあるいは。そう考えたのだ。
「閣下、お忙しいとは思いますが……」

 手を止めさせ、茶まで用意させてしまった。若干の申し訳なさを感じながらも本題に入ろうとしたが、口火を切ったのはキリコの方だった。
「……いつぞやは私の部下が貴殿に大変な狼藉を働き、申し訳ない」
 それは例の『脱走』を企てた時だろうか。またしてもリンナは苦笑を浮かべる羽目になった。
「いえ……私が、あのような行動をとらなければ」
 夢中で取ったあの助け手がなければ、選択をすることも出来なかっただろう。とはいえ、その瞬間、迷いなど無かった。
 何人も巻き込んでしまったことに後悔はないと言えば嘘になるが、結果的にべルカとも無事再会を果たすことが出来、今こうしている。
「さて、安眠を招く手段の話だが」
 カチャ、とキリコがカップを置いた。
「貴殿に今出したこれはカモミールが配合されている。べルカ王子の身を案ずるオルセリート様にも、何度もお出ししたものだ」
 微かにとりんごに似た香味が漂っている。味そのものには違和感が無く、後口にかすかな清涼感があった。
 そういえば、カモミールについてはコール殿も触れられていた、と、つい先ほどの出来事を想起した。
 同衾を勧められた後、ハーブを使うならば、という前置きの後に紹介されたのだ。ただ、あまり効果は無かったと。
 リンナと離れていた間の不眠。新月から話は聞いていたが、更に別の者の口を通して語られると、少しこそばゆい気がした。
「あとは……床をともにするのもよろしいかと。人は他者の体温を感じると、安心するものです」
 脳裏を過ったのは娼館だった。サナで衛士をしていた頃は時折足を向ける事があったが、隣に体温があるとたしかに不思議と安心感を覚えたものだ。
 次いでマリーベルの姿が浮かんでくるのは、仕方のない話だろう。
「オルセリート殿下同様、べルカ殿下も安心なされるのではないでしょうか」
 つまり、この男――キリコ=ラーゲンも、自らの主人と同衾していたということか。
 聞けば、従者が主人と同衾するのは珍しい事ではないという。コールがこともなげに口にしたことにも合点が行った。王侯貴族の慣習には全く縁がなかった生活ゆえに知らなかった。寧ろ、けして超えてはならぬ線だと思い込み、自ら距離を取ってしまっていた。
 しかし、そうではなかったのだ。胸のつかえがすうと消えた気がした。

 *

「どこ行ってたんだよ?」
 部屋に戻ると、ドレスに身を包みベッドに横たわったべルカがおかんむりの様子だった。茶を用意すると断って部屋を出たのだが、随分待たせてしまった。素直に詫びたが、ぷいとそっぽを向かれてしまった。
「そりゃ、城にいた時は俺の周りには誰もいねえ事の方がずっと多かったけどさ」
 それも、今となってはすっかり昔のことだ。今のべルカの周りにはいつも誰かがいる。そして、そのひとりがリンナだ。
「天狼も廚の様子見て手伝うって言って行っちまったし、コールも今は『謹慎』で部屋に引きこもってるだろ? ドアの外に衛士はいるけど、おまえみてーに気軽に話ができる相手じゃねーし。つーか廚の様子見とかって絶対つまみ食いしに行ってるよな」
 そんなん俺も行きてーよという言葉に苦笑する。勿論それをしない分別がある事は把握している。それに正体がばれてしまう危険性もある。キリコの直属の部下はそう数が多くない。
 寂しい思いをさせてしまっただろうかと案ずる。
「……なあ」
 ごろりと寝返りをうち、ベッドの縁から足を下ろし起き上がったべルカが言った。
「ぼーっと突っ立ってねえで、熱いうちに飲もうぜ! 茶菓子はなんだ?」
 勿論用意してあるよな、と勢い込んで問うべルカにはい、と頷いた。
 夜になったら、寝所を伺うご許可をいただけませんでしょうか。そのひとことの問いを発するタイミングをはかりながら、リンナはカモミールを配合した茶をゆっくりとカップに注いだ。





 

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あとがき的なアレ

 Comic City SPARK7のペーパー用に書いたSSです。
Op.49のマリーベルさんはリンナをもっとちゃんと誘えばいいと思いますし
リンナは早くそのベッドの横に身を滑り込ませるべきだと思います