+C sword and cornett 6巻発売記念カウントダウン




9/18 六日目(ロヴィスコとコーネリア)

9/19 五歳(ナサナエルと兄や)

9/20 四つ葉(ミュスカとシャムロック)

9/21 三人(大巫女んびと天鼓)

9/22 二面性(オルセリートとキリコ)

9/23 一人称(ベルカとコール)

9/24 ゼロ距離(ベルカとリンナ)








 9/24は待ちに待った+C sword and cornettの6巻発売日ヒャッホォォォォォゥ!!
 そんなわけで、18日から毎日 1日1本、1000文字程度、「主従」で「カップリングではなくコンビ」「イチャイチャ禁止、きゃっきゃうふふまで」と制約をつけてカウントダウンしてました。
 ※ただしリンベルはイチャイチャ解禁
 +C sword and cornett 6巻発売おめでとう!!!



六日目(ロヴィスコとコーネリア)


 トライ・カンティーナと連絡が途絶え、6日目。当初の航行予定ではすでに流刑島に着いている頃合いだ。余裕を見てはいるが、食料庫の中身もそろそろ心許ない。
 皆の前では平静を装ってはいるが、ロヴィスコにも次第に焦燥の色がにじむようになってきた。 それでも気丈に振る舞う姿に、コーネリアは胸が締め付けられる思いだった。
 コーネリア自身をもまるで孫娘のように扱う副船長が気遣いの言葉をかけたりアドバイスをしているのだが、効果のほどがいまいちであるとため息をついていた。何せこの不測すぎる事態。だが責任感の強いロヴィスコは自身をも責めた。
 高齢の副船長は船長こそ退いたが、未だ若いロヴィスコの後見人でもあり、砲手の束ね手でもある。そして、コーネリアの胸に点る小さい火にそっと新鮮な空気を送ることもしていた。
 おそらく自分は、本来の船医としての領域を越えた感情を持っている。そう自覚したのはいつのことだろう。普段頼りになる船長が見せた、翳りを帯びた表情に、平常心を保っていられなかった。
 そんな相談をできる相手は、副船長ただひとりしかいなかった。

***

「……あまり、根を詰めすぎるのも考え物よ」
 ふわりと肩にかけられた布。ここに持ってこられる前に火であたためられたそれからじわりと伝わる熱が心地よい。肩から首にかけて凝り固まっているような感覚があったのが、少しほぐれる気がした。
「コーネリア、君か」
 日誌を閉じ机上の懐中時計に目をやると、ずいぶん時間が経っているようだった。
「ノックはしたのよ。返事がないものだから心配になって」
 今の今まで思索に耽っていた。いつまでも出ない答えを求めて思考の湖に沈み込んでいた。ノックの音など聞きのがしてしまっていたとしても不思議はない。
 椅子を引き振り返ると、肩の上で切りそろえられている、赤みがかった薄茶の髪がさらりと揺れた。
「医長として……あまり根を詰めるのはよくないとアドバイスをしにきたの」
 コーネリアはにこ、と笑みを見せ、それから表情を引き締めた。
「それから……もうひとつ」
 その細い髪が、瞳が、一歩近づく。

「すごく……プライベートな相談をしてもいいかしら?」

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五歳(ナサナエルと兄や)


 自分の血は、処刑された父を持つ自身に流れる血は汚いだろうか。
 他人の血は、自身を追ってきた者を返り討って浴びた血は汚いだろうか。
 どちらと答える者もなく、彼の服を赤黒く染める温かかった液体は冷え、固まり、その鉄臭さは身を錆びさせていくようだった。どれだけの人数を討っただろう。剣奴、しかも少年ひとりに大袈裟なことだ。
 傷つき錆び付いた身体に吹きさらす風が冷たい。
 アディンがいくら温暖な気候とはいっても、冬の季節というものはある。もっとも、山の方のように雪が降ったりする訳ではないが。
 ここはどこだろうか。
 追っ手を撒こうと滅茶苦茶に走ったせいで正確な場所はわからない。
 だが、ここもアディンの貴族の敷地内であることは確かだ。自身がいたのとは別の屋敷。生け垣の隙間から侵入を果たすことができたのは僥倖といえよう。
 別の貴族の敷地内まで侵入できるほどの権限を持ち合わせた者が追っ手になっているという事態は考えにくかった。
 このまま夜までここで身を隠して、それからもっと遠くまで逃げようと思った。アディン島を出てしまえば、おそらく行方はわからなくなる。
 そのときふと人の気配を感じた。
 反射的に身構えると、草を揺らして現れたのはまだ幼児といっていいだろう年格好の子供だった。着ているものは上等である。ここの子弟なのだろう。この子を人質にという考えが一瞬よぎるが、こんな私邸内ではどこから狙い撃たれるかわからない。ただ、叫びだすようならばその前に動かねばならない。刹那の間にそこまでの考えが走った。
 だが手にした剣にはっと息を呑むも、子供は逃げも叫びもしなかった。
 それどころか、さんざんに血を浴び、血を流す彼に小さなハンカチーフを差し出し、さらに一歩距離を詰めたのだ。
「いたいの……?」
 綺麗な服が汚れてしまう、と思った。
 子供のその目に浮かぶのは蔑みでも怖れでもない。彼の身を案じている光。
 こんな風に純粋な目で、自分にまで優しくしてくれるのは良くも悪くも世界を知らない子供だからなのだろう。と、自嘲気味に考える。
 ならば尚のことだ。
 自分などに触れさせ、この子を汚してはならない。
 動かぬ身体を引きずるようにして剣を突きつける。
 だが、子供はもう一歩を踏み出し、彼に触れた。
 切れた額の、まだ血が流れ出している傷口にハンカチーフを押し当てる。
 「血……出てるよ。母さまが……そういう時は、綺麗な布で押さえなさいって。だから」

 その天使のような子供の名を知るのは、もう少し後のことだった。

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四つ葉(ミュスカとシャムロック)


 青年というには少し年を重ねすぎているだろうか。
 目的地を前に男はやれやれ、と息をついた。
 鴉を束ねる男の言葉は嘘のようには聞こえなかった。だがベルカには民を止め、そしてカミーノへ一度戻るという役目がある。
 リンナとコール、そしてエーコはベルカと共にあるのだ。またホクレアのみで王府に入り、簡単に話が通じるとは思いがたかった。ゆえに白羽の矢は男に立った。カミーノへの使者の役目を果たした後は、カミーノからの使者になる、というわけだ。
 自身の『雇い主』の身を案じていた男には、まさに渡りに船だった。ハーブの配合を記した紙と親書の入った筒。それを手に王府へと向かう。

***

 結論から言うと、男に名を与えた少女は無事だった。
 害されても、勿論殺されてもいなかった。
 その元気な姿を見た時の安堵感は、男自身が戸惑いを覚えるほどだった。
 無事ではあったものの、宮にほぼ軟禁状態であった小さなレディは相当に鬱憤が溜まっていたようで、男はその捌け口となることを甘んじて受けた。
 年相応にひとしきり泣き喚き、それから落ち着いた少女は今は花冠を作っている。いつかのように。
 ひとつはオルセリートの分。
 ひとつは『おねえさま』の分。
 ベルカの女装姿を思い返し、花冠を乗せたところを想像する。なかなか似合うんじゃねーのなどと肩を震わせていると、少女は金の髪を揺らして顔をあげた。
「大切なことをわすれるところだったわ! シャムロック、あなたにほうびをつかわすわ!」
 そうして小さい手でせっせともう一つの花冠を編む。
「いや姫さん、俺は」
 止める言葉も聞かずに手を動かす。白い花冠は着々と出来上がっていった。
「あら? めずらしいわね」
 白詰草を毟る手を止めた。
「ん? どうしたんですかい?」
 首を傾げると、顔の先に突き出された指先には、四つ葉の白詰草が摘まれていた。
「これは、幸運を呼ぶと言われているのよ!」
 そうしてそれも編み込む。
 一心に編む姿を見ていると、妙な気分になった。
 かつて名を『落っことす』前のことを思い出す。
(俺にも、娘がいたかもしれねぇな)
 男の年齢を考えると、ミュスカと同じか、もっと大きい子供がいてもおかしくはない。
(しかし娘っつーのは、可愛いだけじゃすまねぇもんだな……)
 この天真爛漫でわがまま勝手に見えて、しかし自身の立場とやるべきことはわかっているような、不思議な少女。
 思考の淵に沈んでいると、気づくとミュスカが男の顔をのぞき込むように見上げていた。
「……どうかしたの? シャムロック」
「いえ、なんでもありませんよ」
 まさか、存在しない娘が年頃に成長し恋をして、誰かのもとに嫁ぐのだろうか、娘と結婚したくば俺を倒してからにしろ……なんて、バカなことを考えていたとは言えず、言葉を濁した。
「……ぐあいが悪くないならいいの」
 安心したように息をついた少女の瞳にしかし、陰が差した。
「……カミーノって、今、こわいお病気がはやっているのでしょう。へいみん、はんぶんでもおにいさまだし……オルセリートおにいさまも、ここのところ忙しくていらっしゃるから、ミュスカ心配だわ」
 男は微笑んでミュスカの頭を撫でた。
「ベルカ殿下なら、死神なんて逆に食っちまいますよ」
 冗談めかして言ったが、男は不思議と安心感を覚えていた。ベルカなら大丈夫だろう、と。
 小さなレディはいまの王子たらんと様子の変わったベルカを見て、どう思うだろうか。彼のことを『おにいさま』と呼ぶだろうか。
 自然、口元が綻んでいた。


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三人(大巫女んびと天鼓)


 悲報を携え、青年は走った。
 王府から単騎で、主の葬儀が執り行われるよりもはやく。
 それが最後の主命と馬を走らせ、馬も通れぬ道からは徒歩で。
 足場とも呼べぬ足場を抜け、合図の指笛を吹く。
 ゆっくりと架けられる橋。思った通りの人物が青年を迎えた。

 ***

「昴、様……」
 相当急いだのだろう。そこかしこに引っかけたような痕がある。崩れるように膝を折り、名を綴ったきり閉ざされてしまった唇。寒風に吹き荒ばれ真っ赤になった頬に、昴はそっと触れた。
 ホクレアの通名を得ても、当然ながら身体までホクレアのそれになるわけではない。青年のそれはホクレアよりもずっと傷つきやすく寒さに弱い、石の都の民だ。
 尋常でない様子。たったひとりでの再訪。 冷えきった身体、その頭を抱いて昴は労いの言葉をかけた。
「わかってる……ありがと、お疲れさま……。お風呂、入っておいでよ」
 こうなることはわかっていた。ふたりがこの聖地を発つ前から。初めてここを訪れたあの日から。
 青年が身体を温めている間に連珠の準備だ。昴はぱたぱたと、普段はわりと静かな蒼穹天槍を走った。
 果たして連珠は、既に支度を始めていた。
「天鼓が……帰ってきたのでしょう」
 昴が手を握り頷く。
 連珠の身支度をととのえる間に、青年の方も支度ができたようだった。
 通された彼と3人にしてもらえるよう、人払いをする。
 天鼓の報せはやはり、彼の主の訃報だった。
「わかっていても……辛いものですね」
 その光で知っていた『雷』の存在。追いかけるように音がそれを見間違いなどではないと知らせる。いつかはくるとわかっていた別れは存外に早かった。予知をしていたとて、容易にその事実に直面したときの心の備えができるわけではない。
 いっときでも、心を通わせた相手を想う。その声音には切なさが滲んでいた。
 心を通わせたとて、報われる想いではないとわかっていた。
 自分は大巫女で、巫の血を繋がなければならない。
 彼は巫の血を持たないばかりか、石の都の民である。感情だけでは如何にもならない領分だ。

 前を向かなければ、と思う。
 でも、いまだけは。
 いまだけはこうして3人で身を寄せあって、彼を想って泣いてもいいだろうか。

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二面性(オルセリートとキリコ)


 先ほどまでの仮面を脱ぎ捨て、ふう、と息をつく。
「お疲れさまです、殿下」
 上着を脱いだオルセリートの肩に、キリコは室内用の柔らかな毛織物を着せかけた。
「全く……道化を演じるのも楽ではないな」
 首筋をくすぐる毛に目を細め、嘆息する。オルセリートは未だ、この執務室と寝室以外では『人形』であるかのように振る舞っていた。
「お望みでしたら……本当に『人形』にして差し上げますが」
 キリコの言葉に唇を歪める。
「ふん。笑えない冗談だな」
 大病禍の葬送ムードに合わせたわけではあるまいが、深い色の服。それに闇をたたえたような瞳で、歪められ笑みを象る唇。それらは恐ろしいほどにこの少年に調和し、まるでかねてより何らかの企みがあったかのようだった。
 だが。
「ベルカ殿下の名で書状が届いております」
 その名を出した瞬間に見せるのは、かつてと同じ年相応の少年の顔だ。
 ベルカのことを本当に心から大切に思い、心配している。
 それがわかるからこそ、オルセリートがこんなに昏い目をするようになった原因が自分にあることに、ほんの少し呵責を覚える程度の良心は持ち合わせている。
 明るい少年だった。
 こんな事態になっていなければ、今もきっと素直でまっすぐだったのだろう。
 だが、そんな真っ白でまっすぐなものに苛立ちを覚えるのも、また事実であった。
 いまは太陽宮のゲストルームに居を移させた、ベルカの従者然り。あまりにまっすぐなその心根。オルセリートに執着を指摘されるほどに、ねじ伏せようとした事もある。
 ヘクトルにはある意味、清濁併せ飲むところがあった。オルセリートはもっと、よりまっすぐで、より瑕疵を嫌厭する。
 そういうタイプだと、思っていた。
 だが、現実はどうだ。
 オルセリートは想像していたよりもずっとしたたかで、そしてずっとしなやかだった。
 闇に染まったようでいて、内の輝きも失わず持っている。
 ただの理想主義の頑固な少年と侮っていたが、今では本当に膝を折るに値する相手と感じていた。かつて血の盟約を交わした際よりもはるかに、ずっと、この少年に惹かれている。
 それを不意に自覚して、ふと笑んだ。
「どうしたキリコ、なにがおかしい」
「いえ……何でもございません」
 曖昧に誤魔化し、手にした冊子を広げた。
「部下からの報告ですが──」

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一人称(ベルカとコール)


 目の前で揺れる黒髪。コールが上着の肩に装飾の布を留める作業を終えるのをじっと待つ。
 未だに、こうして着替えの手伝いなどをされるのはむずむずして落ち着かない。
『よろしいですか、ベルカ殿下。私の言うとおりにしていただければ、きっとカミーノに入ることが出来る筈です』
 聖地から下り、閉ざされた城郭都市を前にして言葉を失ったベルカに、コールが告げた言葉がよみがえる。
『少し、えらそうな感じ』というのは慣れないものであったけれども。
 それとともに、一人称も『俺』から『私』に改めた。勿論、人前でないところでのそれまで制限をされることはなかったけれども。
 こうしてコールに着替えの手伝いをされていても、浮かぶのは笑顔を、輝かんばかりのそれを惜しげもなくベルカに向けるリンナのことばかりだった。
 リンナ自身も、着替えの手伝いを申し出たことがあったな、等と考える。そんなものは必要がないと断ったのだが。事実、手助けが必要だったのはせいぜいがコルセットの着脱くらいだった。
 断ったとき、リンナはどういう顔をしていただろう。
 残念そうだった気がする。
 また逆に、コルセットの紐を緩めて貰ったときなどはこちらまで恥ずかしくなるほど照れて、それでも頼って声をかけられたのが嬉しくて仕方ないといった様子で。
 そんな事で喜んでもらえるなら、もっと頼めばよかったな等と、今更ながら考える。だがいくら後悔してもリンナはもう戻ってこないのだ。そう考えると、鼻の奥が熱く痛くなってくる気がした
「──殿下」
 コールに声をかけられ、はっとする。既に飾り布を編み留める作業は終わっていたようだった。
「ごめん……ちょっと考えごとしてた」

 ***

 それが何の──いや、誰のことであるか、コールには問う必要がなかった。ベルカがこんな表情を見せるとき、想っている相手はただひとりだ。
 ベルカにとってリンナは今もなお、『ただひとりの従者』であるのだ。
 コールにとって、ヘクトルが今も絶対の主であるように。
 その弟であるベルカの従者、のような立場をとっている現在でも、ヘクトルはコールにとっていわば心の主君であった。
 生前はあれだけ呆れた相手であるのに、振り返るとよかったことばかりが思い出される。
 ヘクトルでさえそうなのだから、ベルカにとってのリンナがどれだけ大きな存在であるのか、おぼろげながら想像がついた。
 それでもベルカは、リンナの喪失を乗り越えベルカは、前を見ようとしている。
(──私も、見習わなければ)
 こうしてベルカに甘え、利用するようなかたちで主の遺言を、最後の約束を果たすだけではなく。ホクレアの未来を、アゼルプラードの民とホクレアが手を取り合える未来を目指していくために。
「なあ」
 ぽつり、とベルカが呟いた。
「兄上って、『俺』と『私』と、使い分けてたよな」
 ちょうど今考えていた人物の話題になり、心を見透かされたような気分になった。
「そう、ですね。公の場とプライベートではやはり──」
 プライベートとは言い切れぬ時も、周囲にコールを含め気心の知れた部下しか居ないときはいつも『俺』だった。それがまた信頼の証のようで少し嬉しいと、比較的日の浅い者は言っていたものだった。
「まだ俺、『私』……って言うの、なんかムズムズするけど……兄上もそうだったりしたのかな」
 問われて出会ったばかりの頃を思い返す。薬草師に師事していた頃のことを。あまりに破天荒なヘクトルに苛立ちを覚えたり、助けられたりした日々を──。
「あの方は……私と出会った時には既に、使い分けられていました」
 器用な人でしたから。笑むと、そっか、と呟いてベルカはまた遠い目をした。

 ヘクトルは空を舞っているところを射落とされた。
 ベルカは飛ぶ力を得たか得られぬかの時に、無理矢理に羽を毟りとられた。
 コールに出来るのは、この心優しい王子に飛び立つ技術をつたえ、ふたたび飛び立つ力を得られるまで、その羽を休める巣箱になることだ。
 それがきっと、未来への第一歩。

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ゼロ距離


 背中にずらりと並んだボタン。
 それをひとつひとつ外していくのは、リンナの手だった。
 カミーノにいる間はコールにほぼ常に着替えを手伝われていたので、今となっては手伝われる事への抵抗間はだいぶ薄れていた。
 だがやはり、従前そうしていなかった相手にそれを頼むのには若干気恥ずかしさが残る。
 だが、この服ならば。
 身体の真後ろに、一列に並んだボタン。
 それを外すのを他者に頼むのはむしろ自然だろう。外すことならば自分でもやって出来ないことはないだろうが、やはりしんどい。
 そう、言い訳ができる。
 時折背に触れる指。仄かに感じられる温度がとても心地良い。
 もっと、触れてほしい。触れたい。触れ合いたい。
 焦らされるような慎重な指に、そういう思いが募っていく。
 こんな風に思うようになったのはいつの頃からだろう。
 出会ったばかりの頃はそうではなかった。顎先を掴まれ目を覗き込まれて、確かに鼓動が速くなりはしたけれどもそういう理由じゃなかった。純粋に男だとばれたらどうしようという理由であった。同じくサナで、マリーベルと呼ばれ贈り物をされたときも。その鼓動を錯覚してしまうほど、彼に惹かれていたわけではない。まだホクレアを魔物だと思っていた頃、新月の矢から庇われたときは、自分などのために身を挺したりするなんてバカがつくほどお人好しな奴だと思った。キツネの洞窟を出た後、アルロン伯に剣を突きつけああ言った時も。アルロン伯の屋敷でも。
 自分のために命を賭けるという彼の言葉に、気恥ずかしさを感じた。そんな言葉は、そんな行為は自分に向けられるにはふさわしくないものだと思っていた。
 なのに彼はそれをなんて事のないことのように、当然のように、その身をもって示したのだ。
 「殿下」
 ボタンを外し終えたことが告げられ、リンナの手が離れる。
「ん……ああ、ありがとな」
 リンナは知らない。
 ベルカがここのところ、コールに着替えを手伝われていたことを。
 かつて慣れないからと拒んだ着替えの手伝いに、今は抵抗感がないことを。
 リンナがそれで喜んでくれるならば、着替えの手伝いを命じる事も辞さない構えであることを。
 一度喪ったことで、いかにベルカの中でリンナの存在が大きいものになっていたかを思い知ったことを。
 リンナが永遠の忠誠を誓いくちづけた右手の甲に、リンナを想ってくちづけたことを。
 ただの従者以上の存在として認識していることを。
 こんなにもリンナに触れられる事を、触れる事を望んでいるということを。


 気が付いたら身体が動いていた。
 リンナの身を抱きしめ、その温もりを全身で感じていた。
「そ、その……殿下」
 当惑の声にはっとする。
「ッ……ごめん、リンナ!」
 変に思われなかっただろうか。
 いや、間違いなく思われただろう。
 水路で引き離される前、自分たちは恋人だったわけでも何でもないのだ。
 男に突然こんな風に抱きつかれて良い気がする訳がないだろう。いくら今身に纏っているのがシスターの服であっても、あくまで中身はベルカなのだ。
 後悔の念に襲われたのは、しかし束の間だった。
 驚いた様子のリンナが、そっとベルカの身を抱き寄せた。
 完治はしていないという傷の存在を意識させない程度にはその腕は力強く、そして温かかった。
 「リンナ……」
 言葉はもう必要がなかった。一度は放した腕をもういちどリンナの背に回す。ぴたりと密着したところから伝わる温度が、鼓動がすべてを物語っていた。
 腕の中に抱きしめられ、そして抱きしめている。それだけの事なのに、深い充足感と、そして何故か泣きたいような感覚を覚えた。
 大切な存在が、唯一無二の存在が戻ってきてくれた。嬉しいとか、安心とか、そんな単語ではこの感情を表現することは到底無理だろう。
 身も心もふたりの距離がゼロになったこの瞬間。それがただ、愛おしかった。